「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる」上辻洋平牧師–2023.12.10


「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる」
イザヤ書9:1-7;上辻洋平牧師

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 イザヤ書7〜9章と列王記第二16章を見ると、イスラエルが外敵に直面した時、アハズ王が神様の預言と警告を受け入れず、アッシリヤ王の権力に頼ろうとしたことがわかります。もちろん、そうすれば外敵の侵略からは逃れられますが、自分自身が神様の約束を信じないことによって、国に滅びをもたらすことを王は知りませんでした。後にイスラエルは、国の歴史上最も暗黒な時代を迎えようとしていたのです。今日の聖書箇所は、最も暗黒な時代において、預言者によって与えられた希望の光について考え直した箇所です。それは、最も困難な時にはメシヤが現れて、必ず彼らを救われるということです。しかし何故、イスラエルの民は、政治的な角度からの救いを期待しているのでしょう。4〜5節を読むと、彼らが自由で平和な国で暮らしたいという望みが見えて来ます。では、本当のメシヤとはどのようなお方であるかを考えてみましょう。
 
1.「ひとりのみどりごが、私たちのために生まれる。」とは、メシヤは必ず、ことばが肉となってこの世に生まれなければならないということです。イザヤ書7:13〜14を見てもわかるとおり、やがて来るメシヤとは、普通の人間ではなく、神様の約束通りに生まれて来るものです。イエス・キリストは、天の御父の御旨に従い、天における全ての栄光をお捨てになり、私たちのためにこの世に来られ、私たちの罪のために刑罰を受けて十字架で死なれました。そして、ご自分が神の御子であることを証明するために、三日目によみがえりました。イエス様は御父に従い、十字架の死にまでも従われましたが、父なる神は、そのようなイエス様を高く上げ、すべての創造物の主とされました。ですから、聖書に書かれている主権というのは、私たちが計り知れないほど大きなものなのです。
 
私たちは、イエス様がキリストであり、全世界を支配されるお方であることを信じています。それは、聖書の中で、イエス様の身分についてはっきりと示されているからです。イエス様はこの世において、多くの奇跡を行いました。使徒たちは、イエス様が死からよみがえり、イエス様が他の人を死からよみがえらせたことを見ています。ですから、イエス様の名は「不思議な助言者」なのです。更に、「力ある神、永遠の父」と呼ばれるのは、やがて来るメシヤこそが神であるということです。当時、イエス様はイスラエルの人々に対して、「わたしは『わたしはある』である」また、「父とわたしは一つである」と、答えられました。しかし、これらの答えは、当時のイスラエルの人々には到底理解し難いものでした。
 
ここでは「平和の君」とありますが、これは、メシヤは平和を喜びとし、争いを好まないという意味であります。聖書の中においては、イエス様の平和についての教えが満ち満ちています。この教えは私たちに和解をもたらすものであり、さらには自分自身を捨てて、犠牲にするよう促しているものです(マタイ5:39、Ⅰコリント6:7)。聖書の教えの多くは、私たちに愛について学ぶよう、課題を与えています。天国の価値観は私たちとは真逆です。イエス様が平和の君であるように、私たちにも平和の君になってほしいのです。6節の預言は、イエス様の身において成就されました。それ故に、イエス様がキリストであって、三位一体の御子であることを信じることができます。私たちは自分自身を捨てて、イエス様について学ぶことができるのです。
 
2.系図によると、イエス様がダビデの王座につくことがわかります。イスラエルの人々は、メシヤが来ると自由で強い国を建てられると思っているので、メシヤは未だ来ていないと信じています。しかし、イスラエルの人々が望んでいる国が世の中の国であるならば、永遠に存続することはできません。聖書の中にある神の御国は、永遠に存続するとあります。また、イスラエルの人が待ち望んでいても、目には見えませんが、存在しているものがあります。すなわち、教会です。教会は神様を信じ、礼拝するために集まっている群れのことであり、イエス様の御身体であって、御国であります。イエス様がキリストであることを信じるものたちは、いつか天において主と再会し、主にある永遠を体験します。メシヤの主権とメシヤの平和は教会において実現するのです。イエス様の御国は私たちを通して表されています。イエス・キリストがダビデの王座にてついているように、その方こそが栄光の神であります。聖書は、私たちが神に栄光を帰し、キリストに栄光を帰することを教えています。イエス様は私たちの救い主であり、王であり、私たちの主であります。みどりごは私たちのために生まれ、私たちのために死なれた不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君であります。私たちはその方の尊さを知り、その方を信じ、頼り、命令に従います。そして、イスラエルの人々が2千年来待ち望んでいたけれども信じなかった方が、イエス・キリストであることを伝えなければなりません。