「イエスキリストの系図」林原億牧師–2023.12.03


「イエスキリストの系図」
マタイの福音書1:1-17;林原億牧師

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 1節のイエスキリストの系図はイエス様が旧約時代から待ち望まれているメシアだということを証明しています。メシアのことを思うときダビデのことを思い出します。ダビデはイスラエルの偉大な王でした。しかし後の時代イスラエルは北と南に分裂し、南ユダはバビロンに滅ぼされます。イスラエルは罪によって神に裁かれたのです。バビロンの捕囚の時代メシアの到来を告げる預言がありました。ユダヤ人はメシアが来ればダビデの輝かし時代をとり戻すことができると信じていました。アブラハムの名前が記載されているのはアブラハムがすべての国の祝福となるという神の契約について言いたかったのです。イスラエルは国の繁栄を取り戻したいと思っています。しかし神がメシアを世に遣わすことにはメシアがすべての国の祝福となるという神の一つの御心がありました。ですから私たちは神の民となることができたのです。メシアはイエスキリストです。

 一、イエス様の系図から旧約の予言との関連性を明かにします。
 2節、ユダには他に兄弟がいますがヤコブにユダが産まれたとあります。イエス様はユダ族からお生まれになるからです。これは神の主権であり選びです。神の選びによって神が歴史を支配されていることを証明しています。イスラエルが滅ぼされたのも偉大な神の主権を認めなかったからです。神の主権を認めることは神の偉大さを認めることであり私たちの癒しさを認めることでもあります。また神の主権においてご慈愛があるお方であることを現しています。イスラエルがどんなに腐敗しても神は見捨てませんでした。神はアブラハムとの契約を守られるからです。神がメシアを遣わし彼らを救うのです。
 3節、神の主権は私たちの想像を超えています。神はユダを選びました。ユダは利己主義で良い人とは言えません。5節、ラハブは異邦人の女性です。神は血統や民族によって人を用いません。神が用いるのは信仰がある人です。ルツも異邦人の女性です。彼女も神に対して信仰を持っていました。6節、ダビデにだけ王という称号が付いています。メシアはダビデ王朝の栄を取り戻してくれると思っていたからです。ダビデにウリアの妻によってソロモンが生まれたとあります。ダビデはイスラエルの偉大な王様でしたが弱さがあったのです。ですから私たちにはイエスキリストが必要です。

 二、イスラエル王朝の歴史は罪の歴史であって救いもそのためにあるのです。
 7節~10節、良い王も悪い王も記載されています。人が罪を犯した時隠れたくなります。しかし神には隠せません。私たちの罪を神はすべて記録しています。しかし神は真実な方ですから私たちが神の前で罪を認め悔い改めるなら、神は私たちを許してくださいます。11節、イスラエル人はバビロンの捕囚となりエルサレムも壊されます。神の町、平安の町が壊されました。神の御臨在を無くしたとき私たちは平安を得られません。ですから罪人である私たちにはイエスキリストが必要です。

 三、イエス様がやがて来るメシアであって救いをもたらします。
 13節、ソロバベルはメシアの予表です。16節、イスラエルは罪を犯し神から離れました。国は滅ぼされ廃れてしまいました。しかし廃れた状況の中においても神が備えてくださいます。当時の人は旧約聖書の予言を忘れてしまっていたかもしれません。しかし神は決して忘れません。ですからヤコブにはマリアの夫ヨセフが生まれたとあります。キリストと呼ばれるイエスは、このマリアからお生まれになりました。
17節、神の救いの計画はアブラハムから始まり、イエス様の時代に成就します。イスラエルは輝かし時代もあり、廃れた時代も経験しました。しかし神が何時も共にいらっしゃいました。神がいるからこそ私たちには望みがあります。あなたは今輝かしい時代にいるのでしょうか。廃れた状況にあるのでしょうか。神が共にいらっしゃれば望みがあります。