「主が喜ぶ教会」林原億牧師–2023.11.05


「主が喜ぶ教会」
使徒の働き2:37-47;林原億牧師

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今日の聖書箇所は、五旬節から派生した出来事である。ペテロが神様の言葉を語り、3000人が応答したとある。それは教会の会員が3000人増えたわけではなく、神様に従う弟子が3000人増えたという、素晴らしい出来事であった(当時エルサレムの人口は5-6万人と言われていたので、即ち5-6%が応答したことになる)。神様に従う弟子は、神様から与えられた仕事を果たさなければいけない。それは即ち1)忠実に聖書の真理を教える、2)礼典(洗礼・聖餐式)を行う、3)組織としての規律を守る、4)力を尽くして福音を宣べ伝える、5)フェローシップに積極的に参加する、である。
まずは「悔い改めることで御父の元に戻る」という小題についてお話ししたい。ペテロが神様の言葉を取り継いだ時、人々は「心を刺された」とある。これは針によって刺されるという意味である。ある礼拝にて、私は「幸いな家族」というテーマで説教した。家族もその場におり、礼拝後息子が来て「良いメッセージだったけど、我々の家庭はそういう家庭とは思えない」と言われてしまった。父が忙しく、家族で欠席する時期が多いので、「幸い」と感じなかったのだろう。私の心は「刺され」、それから、年に一回家族ぐるみで宣教旅行に参加することで応答した。ペテロのメッセージを聞いた人々は、反省し、「私たちはどうしたらよいでしょうか」と応答した。私たちも御言葉を知識として聞くのみならず、また聞き流すのでもなく、初代教会の人々のように、正しく応答する心を持ちたい。
そのような人々に対し、ペテロはまず「悔い改めなさい」と言った。悔い改めるとは、ヘブライ語で「間違った方向から転換する」という意味がある。御言葉が臨んだ時、私たちは御心でないことから離れ、神様が命じることを実行しよう。続けて「バプテスマを受けなさい」と語った。バプテスマとは、他の神々でなく、イエス様に属する者になる、という意味である。洗礼を受けた後、私たちはイエス様の道に進み、教えを守る必要がある。そうすると「罪が赦される」とあるが、これは言い換えると、払うべきであった負債が免除される、という意味がある。そしてペテロは更に「賜物として聖霊を受ける」と語った。御霊を受け入れることは、新しく、豊かないのちのスタートである。
39節にあるように、悔い改め~御霊を受けることは「約束」と表現されている。ここで目を留めたいのは、ルカが「すべての遠くにいる人々」にもこの約束は与えられていると書いた点である。キリスト者は、愛する人のみならず、神様の御心の通り、好きではない人にも、知らない人にも、福音を宣べ伝える使命が与えられている。なぜなれ、そのような人々に福音を宣べ伝えてこそ、本当の愛の表現だからである。続けてペテロは「この曲がった時代から救われなさい」とあるが、これは言い換えると私たちが生きる時代は神様によって「裁かれる時代」である。だからこそ、唯一の救いである福音のうちに生きる者とさせて頂きたい。
もう一つ強調したいのは、「信仰の群れとしての生活」である。42節では「彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを割き、祈りをしていた」とある。今日において、誰がこのような教えを守るのだろう。成熟なクリスチャンだろうか。当時は洗礼を受けたばかりの人々がそうしていたことは明らかである。ここでは二つのギリシャ語のキーワードがある。一つは「教え」。これは即ち使徒の教えを堅く守り、身を委ねるという意味がある。もう一つは「交わり」。これはフェローシップのことを指す。即ち、クリスチャンは使徒の教えを守りながら、教会の中でそれを活かさなければならない。フェローシップとは、私たちの聖書の理解を応用し、実行し、確認する場所である。
そして初代教会において「恐れが生じ」とあるが、これは神様を恐れることを指す。教会にそのような気持ちがないのであれば、その教会は未熟である。続けて44-45節では、「一切の物を共有にしていた」とある。私たちは持っているものを人々に分かち合えるだろうか。分かち合えるのは、いのちが変えられた証拠でもある。加えて彼らは「喜びと真心をもって食事をしていた」とある。教会に来ることは喜びの気持ちがあるはず。私たちが真心を持って礼拝するのであれば、神様は平安と喜びを増し加えてくださる。最後に「すべての民に好意を持たれ」とある通り、主が喜ぶ教会は隣人と良い関係を築ける。
主が喜ぶ教会は生まれ変わった教会である。主が喜ぶ教会は、主を恐れて礼拝し、主にあって兄弟姉妹と交わりを持ち、主のために伝道し、主を愛するように近所に気を配り、主の教えを基に正しい神学・信仰のある教会である。このような団結した初代教会であったからこそ、外に向かって発展できた。どうか、主が私たちを助けてくださいますように。