「信仰による救い」小山田格牧師–2023.10.29


「信仰による救い」
ローマ人への手紙3:23-24;小山田格牧師

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キリスト教の暦では今日は宗教改革記念日です。ドイツ人のマルティン・ルターによる、約500年前の出来事です。その彼に大きな影響を与えたのがローマ人への手紙です。ローマ人は二つに分けられ、1章〜11章までは救いの教理について、12章〜16章までは救われた者の行いについての記述です。今日は第3章から信仰によって救われるという大事な箇所を学びますが、第1章20節の、この大宇宙を造られた神の存在は自然界を見ると誰にでもわかるという箇所、また17節もルターの生涯に大きな影響を与えた箇所ですので覚えてください。第2章15節、16節も重要な箇所です。人間の良心は神様が与えてくださったものですが、この良心は私達が悪行を続けると麻痺してしまい、悪いことを悪いと思わなくなります。しかし最後には、私達に対し神様の裁きがあると聖書にはっきり書かれており、私達が忘れている隠れた罪も全て神様の前に映し出されます。これでは天国に入ることはできません。しかし3章にはそんな私達も神の国に入ることができると書いてあります。本日の聖書箇所3章23節、24節を観てください。
 
 宗教改革に用いられたマルティン・ルターは、幼い頃から神を信じ真面目で、厳格な父親の元成績優秀に育ちました。父の敷いたレールを歩みながら彼は、神様も父親同様厳しい存在であろうから、罪多き自分は死んでも天国には入れないと悩んでいました。そんな中彼は3度、死の恐怖を体験します。病気、大怪我、そして三度目は目の前で突然起きた凄まじい落雷です。あまりの恐怖に「助けてください!助けてくださったら、私は修道士になります」そう叫び神に祈ったのです。雷は消え、その後彼は父親の猛反対を押し切って、神との約束通り修道士になり聖書を懸命に勉強したのです。
 
 当時の教会は、救われるには「神を信じることと善い行いをすること」と教えていました。しかし聖書の3章23節24節には「すべての人は、罪を犯したので、神から栄誉を受けることができず、ただ、神の恵みにより、キリスト・イエスによる贖いのゆえに、価なしに義と認められるのです」とあり、善い行いで救われるとは書いてありません。救いは神の恵みによってであり、それは受けるに価しない者にも惜しみなく注がれる神様の好意です。しかし当時のローマ教会は大きな教会建築に資金が必要だったため、教会に献金することであなたの罪は救われると教えたのです。当時の聖書はラテン語でしたので、ドイツ人が聖書を読めないことが教会には好都合でした。後にルターによりドイツ語に翻訳されると、人々は喜んで聖書を読むようになりました。宗教改革はこうした教会の堕落によって起きたのです。
 
 聖書をよく読んでいなければ、間違った教えに騙されます。聖書には「救いは、ただ神の恵みにより、イエス様の贖いによって義と認められる」と書いてあります。私達の行いではなく、イエス様が何をしたかです。贖いとは、奴隷になっている人を親切な人がお金を払って解放するという意味です。聖書には、私達が救われる前は罪と死と悪魔の奴隷であるとあります。憎しみ、妬み、薬物などの罪の奴隷。二つ目は悪魔の奴隷。天使の中で一番強く悪いサタンは超能力を持ち、狙われると逃れることはできずにどんな立派な人でも罪を犯します。教会もイエス様を礼拝せず悪魔を礼拝する所があるのです。絶対に行ってはいけませんし、この世的なものはサタンが利用し奴隷にするので避けなければなりません。3番目は死の奴隷。最初の先祖が罪を犯したので人間は死ぬことになりました。私達は皆死の奴隷です。しかしこの奴隷の私達をイエス様が犠牲を払い、十字架の贖いによって解放してくださったのです。
 
 真面目なルターは一生懸命努力しましたが心に平安はありませんでした。ある時イエス様の「義人は信仰によって生きる」(ローマ人1章17節)という言葉が響いてきて、現金でも己の努力でもない、イエス様を信じればいいのだと悟ります。イエス様を信じた瞬間に永遠の命が与えられます。彼は聖書を翻訳し、当時の教会と戦いました。聖書の教えを信じれば救われる。そしてそれが世界に広がっていきました。救いはあなたの善い行いによるのではありません。イエス様を信じているかどうかです。信じれば大丈夫です。最後の審判で神様に裁かれることはありません。