「感謝の賛歌」宋軍牧師–2023.10.15


「感謝の賛歌」
詩篇23:1-6;宋軍牧師

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詩篇23篇はダビデが困難の中で書いた詩です。4節、「死の陰の谷を歩く」危険な状況です。5節、「私の敵の前で」羊は羊飼いの導きと守りが必要です。「主は私の羊飼い」主が守りと養いを提供してくださいます。羊にとって水飲み場は危険な所です。しかし「いこいの水のほとり」とありますが、羊が安心して水を飲めるように保証するのが羊飼いです。私は北京で牧会していた時、落ち込んだことがありました。神学校の先生が、私に聖書を読ませ、過去一番危険な時を思い出させ、その危険な時神の見守りの中にいたことを認識させてくださいました。それで私は谷間から抜け出し新たに力を得たのです。
 羊飼いは食べ物を求めて羊を連れて歩きまわります。しかし羊は羊飼いに従いません。3節、しかし羊飼いは道をそれた羊を正しい道に連れ帰ります。神はダビデが道からそれた時、悔い改めさせます。神は私たちが道からそれた時、私たちを連れ戻します。4節、牧場に行く途中、死の危険がある谷があります。しかしダビデは災いを恐れません。貴方がそこにおられますから。これは神の約束です。
 羊飼いには羊の群れを率いるリーターとなる羊を育てます。子羊を一匹見つけ鞭と杖で足を折り、けがが治るまで羊の面倒をみることによって羊飼いに対して依存心を持たせます。治った羊は羊飼いから離れずリーダーとなります。ダビデは神に喜ばれる指導者です。イスラエルの民が王についていきます。ダビデは神の躾を受けていたはずです。躾は苦しみを伴います。しかしダビデが人生を振り返ったとき、あなたの鞭と杖が私の慰めですと書きました。私たちは神の鞭と杖で足を折られたことがあるでしょうか。ダビデからするとそれは慰めです。以上のことから羊飼いは羊に時にかなった助けを与えます。また私たちは神さに対して信頼と従順が必要です。
 5-6節、私の敵の前で食事を整えのととのえとは陣を敷くとい軍事用語です。敵の前で神に油を注がれるというのは、周りの人が私たちに敵対している時、神が私たちのことを受け入れてくださるということです。神が私たちをご自分の独り子をお与えになるほどに愛してくださっています。ですから私たちは迫害を受けても耐え忍ぶことができます。
 「私の杯は溢れています。」この杯は苦い杯です。しかしダビデが後に振返ってみると祝福の杯が溢れていたのです。溢れているとは神の祝福が必要以上に与えられているとうことです。ダビデは経験の再認識によって自分の受けた傷を乗り越え、神へ対する信仰を取り戻したのです。私たちが過去に経験した辛さを神が祝福の杯に変えてくださるなら、今日の自分が直面している敵の前で食事を整えてくださるでしょう。
 6節、ダビデは敵に追われていました。しかしダビデに見えたのは神の恵みと慈しみと愛でした。恵みは原文では「よい」で、もともとの意味は真実です。「まことに」とは驚嘆の言葉です。「私を追ってくるのはなんと神の良さと神の真実であろうか」自分の人生を振り返った時、驚嘆の気持ちに満ちています。ダビデがすべてを見通した時、心の中は穏やかになりました。
 6節、「住まいましょう。」軍隊の駐屯を意味する軍事用語です。駐屯地は戦場にあって安全な場所です。主が安全な場所を提供してくれます。ダビデはその場所を主が共におられる宮と言います。私たちが、神が共におられるのを一番感じるのはつらい時かもしれません。しかし神は私たちに平安を与えてくださると約束してくださいます。
 1節の最初の言葉は主で、6節の最後の言葉も主です。神の御名がダビデの人生を包み込んでいます。私たちも神の見守りの中にあります。過去は変えられません。私たちがどの様に解釈するかです。過去に出会った困難を通して、神が私たちを守ってくださったっていることが分かります。今、死の谷の影を歩いていたとしても、神を頼って最後まで歩き続けましょう。将来振り返った時、感謝と賛美に満ち、神が与えてくださった霊的祝福を見出すことができます。