「悔い改めがもたらす立て直し」林原億牧師–2023.10.01


「悔い改めがもたらす立て直し」
ネヘミヤ記1:1-11;林原億牧師

錄音

錄影


1節、ネヘミヤはハカルヤの息子です。ハカルヤの意味は「主を待ち望む」です。エルサレムへの帰還を待ち望むのです。私たちの人生にも待たなければならないときがあります。ネヘミヤの意味は「主が慰めてくださる」です。困難の中でも望みを見出すことができます。私たちが待つのは神だからです。ネヘミヤは神にエルサレムに帰る機会を与えくださるように祈りました。そしてエルサレムに戻り状況を調べ、計画を立てました。指導者たちを励まし、奉仕を支えました。困難にあっても彼は諦めず神の導きと恵みを仰ぎ見ていました。

2-3節、宮の再建は順調であったわけではありません。エズラが宮の再建をしていたとき、邪魔が入り工事は中止させられました。神の導きの中にも苦難が許されています。奉仕での困難は私たちの信仰は成長させます。工事が中止させられたときユダから数人の者がネヘミヤのところにやって来ました。ネヘミヤが宮の再建を気にかけているからです。もし神の仕事に興味がなかったら、神の御心があなたの上に臨んでも、あなたは見てみないふりをするでしょう。ネヘミヤが宮の建設に興味を持っていました。だから神は彼を豊かに用いてくださりそして指導者となったのです。

4節、ネヘミヤは、ユダから来た同労者から捕囚から逃れて生き残って者たちが困難の中にあり、城壁が崩され門が焼き払われたままであることを聞きました。彼はそれを聞いたとき泣き数日間悲しんだのです。同情心ではなく神の霊の感動によるものだと思います。ネヘミヤが気にかけているのは神の御国です。イスラエルが罪を犯し捕囚となり、エルサレムが廃れてしまいました。罪によってもたらされた恥です。ネヘミヤが心を痛めたのはそれに関心があったからです。人は関心があるものを大事に思います。私たちが何に関心があるかが私たちの御国に対する見方を表しています。

ネヘミヤはエルサレムの苦難を聞いてただ神の前で断食の祈りをしました。断食の祈りとは、断食をして一心に神だけを頼るということです。私たちは祈りを聞かれないと神から離れてしまいます。これは自己中心の祈りです。祈りは自分の必要の上において神の導きと恵みを経験することです。5節、「天の神、主。恐れるべき神」ネヘミヤは敬う気持ちをもって神の前で祈っていたのです。神は主の命令を守る人たちに対して契約を守り、慈しみを賜る方です。6-7節、「耳を傾け、目を開いて」とは私たちに目線を注いで私の言うことを聞いてくださいという意味です。昼も夜も神の御前に祈っています。切迫感があります。ネヘミヤは、苦しみを取り去ってくださいと祈るのではなく、自分の犯した罪と私の父の家も罪を犯しましたと告白しています。自分の利益ではなく神を中心とした祈りです。

8節、9節、人々が罪を犯して各地に散らされました。しかし悔い改めたなら地の果てにあっても集められ戻ることができます。あなたは神から遠く離れているときがあるかもしれません。しかし神は慈しみ深い愛があります。悔い改めたなら地の果てからでも神があなたを連れ戻すでしょう。今日、教会に通わない信徒の方も悔い改めましょう。そうすれば神があなたを連れ戻してくれます。神の霊が彼らに感動を与え彼らが戻ってくるように祈りましょう。10節、神があなたをただ連れて戻したのではなく贖ったのです。11節、ネヘミヤは高い地位にありました。彼はあえて泥まみれに必要はありませんでした。しかし彼は神の導きに従いました。ですから神が王に感動を与えネヘミヤが帰還できるようされたのです。私たちが神の御心の中に歩むなら、神は私たちの祈りを聞いてくださり、私たちを幸せにしてくださいます。