「きょうは、あなたの家に泊まることにしてある」鈴木啓明宣教師–2023.08.27


「きょうは、あなたの家に泊まることにしてある」
ルカの福音書19:1-10;鈴木啓明宣教師

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  今日のメッセージは、ザアカイとイエス様が出会うところの話です。ザアカイとはいったいどんな人でしょうか?2節に「彼は取税人のかしらで金持ちであった」とあります。彼はイスラエル人で職業は税金の徴収人でした。当時イスラエルを支配していたのはローマ帝国ですから、集めた税金の納め先は敵国ローマ帝国です。敵国に雇われ同胞から税金を徴収していたわけで、イスラエル人からすれば裏切り者です。7節では「罪人」と呼ばれています。それは彼ら取税人達が必要以上に税金を上乗せして取り立てをし、定額をローマ帝国に納めた後、残金を着服していたからです。8節にその事実が暗示されています。しかもザアカイはその頭ですから相当お金があり、当然同胞からは嫌われ者だったことでしょう。
 
3節、背が低かったザアカイは、群衆に遮られて町を通るイエス様を見ることができません。病人を癒し素晴らしい教えをすると噂に聞いているイエス様とはいったいどんな人だろう?そこで彼は先回りして木に登りイエス様を見ようと思いつきます(4節)その木は高さ約18m、葉はびっしり生い茂り、その葉によって彼の姿は半分隠れる状態でした。しかしイエス様は大勢の群衆に囲まれながらも、その木の所に来ると上を見上げ「ザアカイ、急いで降りて来なさい」と声をかけたのです。木の上で葉っぱに隠れているザアカイを見つけるどころか名前まで知っていました。ここにイエス様が神様であることが示されています。そしてイエス様はザアカイに「今日あなたの家に泊まることにしてあるから」と仰いました。つまりイエス様は、すでにザアカイの家に泊まる計画を立ててこの町に来られたのです。エリコの町をただ通過するためではなく、実はザアカイと家族に会いに来られたということがこの5節からわかります。
 
8節以降はザアカイの家でのことだと思いますが、ここでザアカイはイエス様に「財産の半分を貧しい人に施し、騙し取った物は4倍にして返します」と言うのです。同胞より愛国心より何よりもお金が重要だった男がです。イエス様はお金を施すようにとは一言も言っていません。にも関わらず、何故でしょうか。それは、イエス様を迎えると私達の心が変わることをあらわしているのです。お金では得られない喜びに満たされるからです。6節に「大喜びでイエスを迎えたと」書いてありますが、群衆の誰もが会いたかったイエス様が、実は自分に会いに来たのですから喜びに満たされる筈です。
 
9節、「今日この家に救いが来ました」このイエス様の言う救いとは何か、ザアカイに起こった出来事がその意味を教えてくれます。それはイエス様を迎え入れ今までと違う新しい生き方を始めるということです。更に注目したいのは、イエス様は「救いはこの家に」と言いました。この家とはザアカイの家族を現わします。つまり彼の家族にも救いが来たということです。夫や父親に変化があれば必ず家族も変わります。だからイエス様は彼の家族にも会いたかったのです。孤立し罪人と呼ばれるザアカイに、家族は肩身が狭かったかもしれない。そんな家族全員をイエス様は救いたかったのです。人生が変わったからイエス様を迎えるのではなく、イエス様信じて迎え入れたからその後価値観が変わり人生が変わるのです。
 
今ここにいて、まだイエス様を信じていない方、その方はある意味ザアカイのようです。それは彼のように孤独とか裏切者と言う意味ではなく、イエス様や教会について見に来たという意味でです。ですから今どこに座っていても、木の上のザアカイを見つけたようにイエス様はあなたを見つけ、名前も知っていて直接語りかけます。「今日あなたの家に泊まることにしている」と。神は何百万という人の中からあなたを選び今日導いてくださいました。ザアカイは自国の民に拒絶されていましたが、人生で人から拒絶されるほど辛いことはないです。特に傷つくのは父親から見捨てられること。でも父なる神はこう言います。「私は決してあなたを離れずあなたを捨てない」(へブル13.5節)神は自分の約束を必ず守るお方です。ザアカイがイエス様を迎え入れて正しい人生を歩もうと誓ったように、今日イエス様を受け入れて新しい人生を歩んでください。9節10節、イエス様は非常に喜んで「今日この家に救いが来た」とザアカイだけでなく、周りの人達にそのことを知らせています。今日、是非「この人は救われたと」イエス様に喜んで周りに知らせていただきましょう。