「クリスチャンの試練」鈴木啓明宣教師–2023.07.23


「クリスチャンの試練」
ヤコブの手紙1:1-12;鈴木啓明宣教師

錄音

錄影


 今日の聖書箇所は、迫害を受けて散り散りになってしまったクリスチャンに宛てた手紙で、試練について書かれています。冒頭に祈りも感謝もなく、いきなり本題に入るということは、手紙の受取人がよっぽど試練に直面している状況であり、この手紙がその人たちを励ますためのものだということがわかります。ここでいう「さまざまな試練」には、今私達が直面している試練も含まれます。ヤコブは、「さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい」と伝えています。今試練に会っている方、この上もない喜びを感じていますか?1-12節には、試練がこの上ない喜びである3つの理由が書かれています。神様がヤコブを通して書かれた手紙が、今日この時間、私達にも語られたものとして読んでいきましょう。
 
1.試練を通して忍耐が生まれる(ヤコブ1:3)
 試練に会って信仰がためされると、忍耐が生じます。ここでいう“ためす“とは、ギリシャ語で”本物かどうかを確かめる“という意味です。例えば”金の純度をためす“といった時に使われます。純度の高い金を作るには、高温で溶かし不純物を取り除きます。私たちの信仰はこの金のようなものです。試練が火の役割をし、試練にためされることによって信仰が純度の高いものになります。ただし試練が訪れれば自然と忍耐がつくわけではありません。神様により頼み、信仰を使って乗り切らなければ忍耐は生じないのです。この試練が神様のご計画であると信じ、聖書に書かれている約束に望みを置くのです。ですから、人や環境、神様を責めず、試練の中にあっても神様の言葉に従います。今の試練を信仰で乗り切れば、次の試練の時には自分に忍耐が付いていることを確信するでしょう。

2.成長を遂げた完全な者となる(ヤコブ1:4)
 試練のゴールは忍耐ではありません。何一つ欠けたところのない、成長を遂げた完全な者となることです。これはクリスチャンとして成熟した者、つまりキリストに似たものとなることを指します。私も様々な試練を経験しましたが、必ず神様のタイミングで解決してくださいました。主は決して見捨てない方です。振り返ると当時の経験も恵みだったと思うことができます。(ヤコブ1:9)貧しい境遇にあっても自分の高い身分を誇りとしなさい、とあるように、辛い状況にあるときは自身が神様の子どもであることを誇りに思いましょう。これが信仰によって乗り切るということです。

3.試練に耐えると命の冠を受ける(ヤコブ1:12)
 この冠は、神様からいずれいただけるご褒美の象徴です。具体的な内容は今の私達にはわかりませんが、この世のものとは比べ物にならない価値のあるものです。神様が私たちに冠を授けるとき、「忠実なしもべだ、よくあの試練を耐え、私を一番に頼り続けたな」きっとそんな言葉をかけてくださるでしょう。
 
 試練にどう立ち向かうかが、私達のこれからの人生、また永遠の命に大きな影響を与えます。これだけ素晴らしい影響を与えるのが試練ですから、確かにこの上ない喜びかもしれません。ですから、何か罪を犯したから試練が訪れたのだ、といった捉え方はやめましょう。(ただし私たちが罪を犯した時は、立ち返らせるために神様が試練を用意されることもあります)

 私たちには、どんな試練にも耐えられる力が神様から与えられています。決して自身の知識や理解を頼らず、あなたの御言葉を頼ることができますように。