「互いの重荷を負い合いなさい」孫寶玲牧師–2023.07.16


「互いの重荷を負い合いなさい」
ガラテヤ人への手紙6:1-5;孫寶玲牧師

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  パウロはガラテアの手紙で互いに重荷を負いあいなさいと言っています。それは今日の教会の不変的な問題です。皆さんはすべきことは分かっていると思います。ですから重荷を負いあうことができない理由や原因を考えたいと思います。①ある人は自分が知っていることが絶対的な事だと思っています。②一部のクリスチャンが自分の経験したことが最も大事だと思っています。③自分が持っている物は自分が勝ち取った物だから他人と分かちあおうとしません。それに伴い四番目の状況が起こります。自分が持っていないと思う時、人は文句を言い不平を感じます。

ユダヤ人にはある物語があります。貧しいユダヤ人の夫婦の夫が神に生活が良くなるように祈りました。天使が現れて「神が貴方に3つの願いをかなえてくだる。しかし貴方より貧しい隣人が、貴方が求めた物の倍与えられます。」と言いました。彼は自分が豊かになれば隣人が2倍もらっても大丈夫だと思っていました。ある晩、彼は神に10頭の牛と10匹の羊を求めました。次ぐ日その願いはかなえられ生活はよくなりました。しかし隣人が、彼の倍の物が与えられました。彼の心は穏やかではありません。二番目に財産を相続できる男の子を求め与えられました。夫婦は神に感謝し子供を宮に連れて行きました。そこに隣人が双子の赤ちゃんを連れてきました。彼は生活も良くなり、子供も与えられました。彼は喜ぶべきですが、隣人を思い出すたびに嬉しい気分でいられないのです。彼は神に「私の左の眼を取り去ってください。」と願いをしました。隣人が両目を失うことになるからです。その時、雨が降り出し、天使が現れ言いました。「神が貴方に恵みを与えたのは他の人と分かち合うためです。貴方の命を違った方向に又他の人の人生を曲げるためではありません。この祈りに神は答えません。雨が降っているのは神が泣いているからです。」

もう一つの物語があります。ある農民の兄弟がいました。両親が亡くなり兄弟は畑を分けました。ある年十分な雨が降り豊作になりました。兄はこの神の恵みを神にどうお返ししたらよいのだろうと考え、自分の農作物の一部を弟に分けてあげようと思いました。弟は独身で生活に楽しみが無く、収穫が多かったら楽しくなるだろうと思ったのです。しかし弟は断るでしょう。夜、兄は農作物を弟の蔵の中に入れました。弟も神の恵みは豊かで豊作で、神に恵みにどうお答えしたらよいのかと考えました。そこで、弟は自分の収穫した農作物をお兄さんに分けようと思いました。お兄さんには妻も子もいるので食べるものが必要です。しかしお兄さは受け取らないでしょう。夜、弟は農作物をお兄さんの蔵に運びました。兄弟は毎晩お互い農作物を相手の蔵の中に運びました。朝起きて見ると蔵はもとの通りです。ある晩、兄が農作物を運んで弟の蔵に向かっている途中で農作物を運んでくる弟と出くわしました。蔵の農作物が無くならない理由が分かりました。そして兄弟は抱き合いました。その時雨が降り、天使が現れ言いました。「あなた方は神の恵みをあらわしてくれました。神が感動して涙を流しています。あなた方が神の恵みを表した場所に将来的に宮が立てられます。宮は神の麗しさを表す場所です。

この物語には一つの真実があります。神の恵みを表したその場所こそ神の宮です。互いに重荷を負いあうことは命令でははく、御父の御顔を見て御心を理解するためです。神の恵みで他の人の心を潤すのです。互いの重荷を負うということはキリストの律法を全うすることです。神の麗しさを表す群れがキリストの教会です。神が皆さんを祝福し教会生活の中で互いに重荷を負いあうことができますように。御父の御顔を見ることがでますように。神の恵みを経験し互いに命が成長することができます。