「信仰に満ちた父親」林原億牧師–2023.06.18


「信仰に満ちた父親」
創世記22:9-14;林原億牧師

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 これから私たちの教会はより聖書を学び伝道に励む方向に進むべきです。すると三つの大切な奉仕があります。それは献堂と教会の拡大、またその使命に担う同労者を育成のための学びの場を創ることです。私たちが神に素晴らしい奉仕を捧げることができますように。

 本日は父の日です。父親は家族の中で大切な存在です。父親は模範であり、寄り添う人です。また尊重されるべき人です。また子供を支える人です。そのような観点からアブラハムとイサクの関係を見てみると、彼らが神に従う人であることがわかります。神が彼らと共にあり顧みてくださいます。

1.信仰に満ち溢れている父親は神に従うことを生き様としています。
 9節、アブラハムとイサクは神が示された場所に着きました。そこでイサクを生贄として捧げるためです。この箇所で言いたいのは子供を生贄として捧げるということではありません。へブル11:17-19、アブラハムの神への信仰は、彼の神に対する信頼の上に築かれています。彼はイサクが生贄として焼かれて捧げられたとしても神はイサクを死者の中からよみがえらせることができると信じていました。アブラハムは神がどのようなお方でありどのようなご計画を持っていらっしゃるか知って従ったのです。従うということは聖書の真理を知り、聖書の神を知ることです。アブラハムは神を基とした人です。神を基とする人は、神が求めるなら自分が損をしても神に従います。神が私たちを愛し顧みてくださると信じているからです。

2.信仰に満ちた父親は神を畏れ敬うことを生き様にします。
 12節、祭壇が築かれ薪も用意されアブラハムは刀をもってイサクをほふろうとしたその時、神の使いが現れてアブラハムを止めました。神はなぜアブラハムを試みたのでしょうか。神はアブラハムが神を恐れ敬っていることを知っていました。しかしこの出来事を通して神がアブラハムに自分の信仰がどの様なものであるか知ってほしかったのです。

 人がイエスキリストに出会った時、信仰がその人の命の中に入ります。主の命がその人の内にあるとき、その人は神に仕える人になるでしょう。神を基とし始めたからです。そしてその人が神に仕え始めたと時、神を恐れ敬うべきであると気づくでしょう。その人が神を畏れ敬う人になったら、人々はその人の生き様から証を見ることができます。子供は父親の神様を畏れ敬う態度を通して父親の証を見ることができます。

3.神は信仰に満ちた父親を顧みてくださいます。
 主の使いはアブラハムがイサクをほふるのを止めました。13節、そしてイサクに変わる生贄を与えられました。神は神を畏れ敬う者に備えてくださいます。神が顧みてくださるとは神が来てくださるということです。神を畏れ敬う父親がいる家庭は、神が備え守り導いてくださいます。父親は子供を神の前に連れて行き、神を畏れ敬うように育てます。神は子供を顧みてくださいます。このように育てられた子供はポジティブに育っていくでしょう。また神の前に来ることを喜ぶはずです。このような家庭には希望があります。

 父親が神との関係を築き子供に神を畏れ敬う模範を示すことができますように。神を仰ぎ見、家族のために祈ることができますように。神がその家族を顧みてくださいますように。子供たちが信仰を持ち神により頼るようになりますように。信仰に満ちた父親は神により頼む家族の基です。