「あなたを救う神」山口陽一牧師–2023.04.23


「あなたを救う神」
出エジプト記3:14、ホセア書1:9~10、ヨハネの福音書8:24;山口陽一牧師

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私たちは、神様のことを神・主・創造者など様々な呼び方をしますが、神様には固有のお名前「ヤハウェ」があります。今回はお名前に関する3つの箇所を通して、お名前「ヤハウェ」は神様の本質の現れであり、この方こそあなたを救う神である、ということ学んでいきます。
 
1.出エジプト記3:14
燃える柴の中に現れた主を恐れ、モーセはくつを脱ぎ、顔を伏せます。主は、エジプトで虐げられている者の叫びを聞き、モーセに「パロの元に遣わす。イスラエルの民をエジプトから連れ出せ」と告げました。しかし、彼は不安をおぼえて、「イスラエルの民に『あなたを遣わす神の名は何か』と聞かれたら、何と答えたら良いでしょう」と主に尋ねました。これは、神の本質を尋ねる質問です。モーセは、主が全能者・父祖たちの神であると知っていましたが、まだ神様のお名前を知りませんでした。イスラエルの民を救う時に一番に求めたことが、主のお名前を知ることだったのです。

『わたしはある』は、ヘブライ語で「エフィエ アシェル エフィエ」。「ヤハウェ」の語源であり、「わたしはあらしめる」という意味です。イスラエルの民は、このお名前をみだりに口にしないよう、「アドナイ(主)」と呼ぶようにしました。日本語の聖書では、ゴシック体太字の「主」で記されています。『わたしはある』という根源的なお名前の方が、イスラエルの民をエジプト奴隷の苦しみから解放された。この歴史的事実は、私たちのための型です。すなわち、罪の中に閉じ込められている私たちを救い出される、という神様のご計画の型を示しているのです。
 
2.ホセア書1:9-10
9節は非常に悲しい箇所です。「エフィエ」の神は私たちの神であり、私たちは神の民である、という関係が赦されない。モーセの時代から約700年。神の民に選ばれたイスラエルの民は、姦淫の罪を犯し、主に背きました。姦淫とは、神でない対象を神として扱うことです。実際にユダヤの民・エルサレムは滅びました。またホセアは、回復の預言もしています(10節)。更に700年後、イエス・キリストが来られました。
 
3.ヨハネの福音書8:24
24節「わたしのこと」は、ギリシャ語で「エゴエイミ」。「エフィエ アシェル エフィエ」と同義です。かつてのモーセのように、弟子たちはイエス様に「あなたはだれですか」と聞きました。イエス様は「初めからわたしがあなたがたに話そうとしているところです」と答えられました。ご自身のことを「わたしはいのちのパンです」など、7つの言い方で紹介しており、全て”I am…”の繰り返しです。エジプト奴隷から民を救い出された神は「わたしはある」と言い表され、罪の中から救い出したもうイエス様もまた「わたしはある」と言い表されました。

 奴隷とは、自分のことを自分で変えられない状態。私たちは、間違いを正したくても、自分では正すことができません。8:36は、罪の奴隷である私たちへの福音です。燃える芝の中でモーセに「わたしはある」と名前を示された神が、体をもってこの世に来られ、十字架によって救いを成し遂げてくださいました。罪を告白し、イエス・キリストを信じることこそ、本当の自由なのです。
 
「わたしはある」とご自分を表された神、イエス・キリストは、今日も生きておられます。この方は天地万物を創り、人を創り、人を新しくし、世界を新しくされます。大変重要な神様のお名前「わたしはある」を、大袈裟に語ることをせず、静かに語ることで強調されています。「わたしはある」という方が、罪の奴隷状態の私たちを救うため、この世に来られました。このお名前をみだりに口にせず、大事に握りしめて、この神に従って生きていきましょう。