「新しく生まれることについて」林原億牧師–2023.03.26


「新しく生まれることについて」
ヨハネの福音書3:1-15;林原億牧師

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今日の聖書箇所から、「神様の奇跡を見ることができれば、神様を信じる」と考えている人がいることに気づくと思います。ニコデモは既にイエス様が行った沢山の奇跡を目にしていましたが、イエスキリストが救世主であることを信じていませんでした。聖書において奇跡とは“神のしるし”という意味を持ち、行われた全ての奇跡は神様を指し示しています。つまり奇跡は、行くべき道を示す標識のようなもので、その奇跡を行う主が目的地にあたります。標識(奇跡)と目的地(主)とでは、どちらが大事でしょうか。私たちは「奇跡を見ること」だけを求めるのではなく、それを行われた方から目を離してはいけません。
 
1.新しく生まれるとは、神による働きである
 (ヨハネ3:2)ニコデモはパリサイ人で、当時の社会におけるパリサイ人は、聖書に詳しく、人々に聖書を教える教師の立場でした。ニコデモはイエス様の行われたしるしを見て、イエス様が特別な人だと分かったものの、「神のもとから来られた教師」だと考え、何者か分かっていませんでした。

 (ヨハネ3:3)私達が聖書を解釈する時、神様の御心にかなっていないときもあるでしょう。しかしそんなときでも神様は怒りません。神様がニコデモに語り掛けた「まことに、まことに、あなたに告げます」という言葉はとても厳粛な教え方です。パリサイ人が聖書を教える目的は、神の国に入るためでしたが、神は「人は新しく生まれなければ神の国をみることはできない」と教えています。遜って求めなければ、神の国がどこにあるのか知ることができない、ということです。
 
2.新しく生まれるとは、神から与えられた信仰によるものである
 (ヨハネ3:6)聖書には偉大な人物がたくさん記されていますが、彼らも新しく生まれる前は肉によって生まれています。命が変えられた時、彼らは御霊によって生まれた人となりました。もし私たちが神の前にひれ伏して、自分自身を神様に委ねるなら、霊によって生まれたものとなるのです。

 (ヨハネ3:8)御霊から生まれることについて、神様は私たちに見返りや条件を求めていません。私達にできるのは、ただ神様の御心の中に歩むことです。ニコデモは文字上で「新しく生まれる」という言葉を理解しようとしましたが、神様の意図とは異なっていました。神様は彼に信じることを教えようとしたのです。多くの人が「先に理解してから信じよう」と考えますが、イエス様は、理解してから信仰が与えられるのではなく、信仰が理解を生むと教えています。
 
3.新しく生まれるには、神の恵みが必要である
 (ヨハネ3:11-12)ここでイエス様は真意として「もしあなたが新しく生まれ変わらなければ、私が言おうとしていることを理解することができないでしょう」と言っています。新しく生まれるとは、神からの恵みによって命が変えられていくことです。命が変えられなければならない理由は、私達に罪の問題があるからです。罪が私たちの中にあるが故に、新しく生まれるという意味が分からず、イエス様が言うことを信じることができません。

 (ヨハネ3:13-15)イエス様を信じなければ、命がかえられ、生まれ変わることはできません。愚かだと言われたとしても、従順な者こそが救われるのです。イエス様は言っておられます「信じる者はみな、人の子にあって永遠の命が与えられる」と。