「神に選ばれた者」王鋭伝道師–2023.03.12


「神に選ばれた者」
コロサイ人への手紙3:12-15;王鋭伝道師

錄音

錄影

https://youtube.com/live/soL_CeJZY5s
本日の聖書箇所から教えられていることは、私たちはキリストにあって新しい身分を与えられているということです。昔の自分は死んで新しく生まれ変わりました。異邦人でも寄留者でも奴隷でもなく、神に選ばれた神の御国の聖徒となりました。ですから古い、汚れた衣服を脱ぎ捨て、神様が用意してくださった新しい衣服、つまりイエス・キリストを外側に着なければなりません。私たちは愛に与ったきよい人です。深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身につけるべきです。
 
聖書には、古い服を脱ぎ捨てて新しい服を着るよう書かれている箇所が多くあります。その中で、生まれた日に捨てられ、服もなく、血の中でもがいていて、生きていて罪の中に死んだような人のことが書かれている箇所があります。私たちもこのように、服さえも着ていなくて血の中でもがいている者でしたが、神様は私たちを無条件で贖ってくださり、新しい服を着せてくださいました。これこそが「神に選ばれた者」の、本当の意味であります。
 
私たちは神様の愛に与りました。神様は愛の中で私たちを選んでくださり、きよい民として新しい衣を掛けてくださいました。聖書には「神は捨てられたイスラエルの民を水で洗い、油を塗り、あや織りの着物、絹の着物を着せ、じゅごんの皮のはきものをはかせ、亜麻布をかぶらせ、金や銀の飾り物で飾った」と書かれています(エゼキエル書16:9-12)。このように、神様は私たちを汚れから救い出してくださり、水をもってきよめ、油をそそぎ、御霊に与る者としてくださいました。最も高価で煌びやかな服を着せて、私たちの身分を変えてくださったのです。ですから私たちの行いは、その身分と一致していなければなりません。
 
旧約聖書における服とは、希少価値の高い宝石が散りばめられているものですが、神様が私たちに着せてくださった衣に散りばめられた宝石は、イエス・キリストにおける深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を表しています。

深い同情心とは、他の人と共感する意味を表しています。私たちは喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣く必要があります。しかし、私たちは他人の幸せを妬み、他人の不幸を喜びます。ですから、神様はキリストによってもたらされた新しい衣服を私たちに着せられました。キリストこそ、喜ぶ者と共に喜び、泣く者と共に泣くお方です。
 
慈愛とは、情熱を持ち、おおらかで心が広い人のことを指します。主イエス・キリストは相応しくない私たちを慈愛によって選んでくださいました。謙遜とは、他人を自分よりも優れた者と思うことです。相手の取り柄を見出し、そこに目を留め、そのような心で人と接するのであれば、共に喜びを得ることができるのではないでしょうか。
 
柔和とほ、柔軟性があり、優しいという意味です。人は歳を取れば取るほど、置かれた場所において長く過ごすほど頑固になります。しかし、キリストが私たちを柔和な者としてくださいました。ですから、他の人の意見も聞き、柔軟性を持った働きをしましょう。寛容とは、怒るのに遅い、気長な人を表します。寛容の原文は、火が灯りにくいという意味になります。人は頑固な方向に向かうとすぐに火を灯してしまう、時限爆弾のような存在になってしまいます。ですから、怒るのに遅い者となるように心掛けましょう。
 
これらはイエス・キリストの性質です。罪の中を歩んでいた私たちにとって、これらの性質は宝石のような存在となります。怒り、憤り、悪意、そしりといった、古い人の服を脱ぎ捨てて、キリストの新しい服を身に着けましょう。もし、赦せない人がいるのであれば、心の底から赦しましょう。それができるのであれば、キリストの新しい服を着たということになります。