「神を愛する者は必ず兄弟を愛する」王鋭伝道師–2023.02.12


「神を愛する者は必ず兄弟を愛する」
ヨハネの福音書4:7-12;王鋭伝道師

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 ヨハネの手紙第一は、私が神学校においてギリシャ語を学んでいた時の教材でありました。一つ一つの単語を噛み砕いて半年間教えられたのですが、当時与えられた栄養は今となっては失われてしまいました。しかし、ひとつだけ覚えているのは「互いに愛し合いなさい」ということです。これはヨハネの手紙第一を貫き通すテーマであります。
 
 聖書においては「互いに愛し合いなさい」というメッセージが何度も出てきますが、それは、私たちが互いに愛し合うことについて欠けているからです。互いに愛し合うとは、心を尽くし、力を尽くして神を愛し、隣にいる兄弟姉妹を愛し、近しい人を愛することです。実は、同労者を愛することは求道者を愛することより難しいのです。なぜならば、距離が近ければ近いほど真実なる愛をもって愛さなければならないからです。
 
 ヨハネは、私たちにとって互いに愛し合うこと、隣の兄弟姉妹を愛することが如何に大切であるかを教えています。それは、私たちが互いに愛し合うことによって、神様を証しするからです。兄弟姉妹を愛さないのであれば、神様を愛しているとは言えません。愛はキリストから出ているのであって、私たちは神の愛によって互いに愛せるようになるからです。私たちは神様を信じることによって救われました。救われたのであれば必ず愛があります。しかも、漠然とした愛ではなく、真実なる愛です。ですから、神様を愛する人は隣人をも愛し、そうすることによって律法を全うします。
 
 ここでヨハネが教えてくれている愛とは、キリストの十字架の愛です。イエス様は十字架に掛けられる前の晩、弟子たちの足を洗い、様々なことを捧げて下さり、愛を表して下さいました。イエス様が十字架に掛けられたのは、罪の中を歩く私たちの為のなだめの供え物となる為でした。憎しみや妬みで満ちていた私たちの心は、イエス様が十字架で流された血潮でもって、神様が与えて下さった御霊によって、他人を愛することができる心となりました。これこそが十字架の愛です。御霊の臨在は私たちが救われていることの印です。
 
 兄弟姉妹互いに愛し合うことは決して容易いことではありません。イスラエルの歴史においても、自分の兄弟を手に掛けると言うことがよく起こっています。人が神を知ることが出来るのは互いに愛し合っているからであり、殺し合うことによって神から離れていくのです。近しい関係であるが故に、互いの接点が災いをもたらしてしまうこともありますが、神様は互いに愛し合うことを命じておられます。
 
 教会においては、全く異なる性格、背景、年齢の者同士が一緒に奉仕を捧げます。しかし、ここが神の教会であると言うことを表すためには、私たちが互いに愛し合わなければなりません。私たちが教会に足を運ぶようになったのは、そこにいる人たちが互いに愛し合っていると言う証しをして下さったからです。一人一人は弱さをもった罪人です。弱さを抱えている兄弟姉妹を受け入れ、私たちを傷つけたことのある兄弟姉妹を愛しましょう。なぜならば、それこそがキリストの愛だからです。