「主の愛にならう」林原億牧師–2023.01.08


「主の愛にならう」
ヨハネの福音書15:9-16;林原億牧師

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マルティンブーバーという神学者によると、人間関係は「私とあなた」、「私と彼」の二種類に整理することができると言われています。前者である「私とあなた」という関係は、人と人との接点であり、互いに学び合うことで益となり、互いに必要とする関係となります。しかし、相手のために何かをしようと思っても、やりたいことの全てを行うことはできません。ですから「あなた」とは、神様のことを指さなければならないと、マルティンブーバーは語っています。人と人は互いに受け入れ合うことができて初めて互いに愛し合うことができます。互いに愛し合うと言うことは互いに犠牲をはらうことです。つまりそれは、神様が私たちの中で働いてくださっていると言うことの証明です。
 
1.主の愛にならいたいのであれば、従うことを学ばなければならない
 
ヨハネの福音書の中では、天の父なる神と子なるイエス様を「父と子」の関係性でもって説明しています。イエス様は常に神様が喜ばれることを行います。それは、天の父なる神と子なるイエス様は「従う」と言う関係性にあり、父なる神からいただいた愛に応答する方法であるからです。私たちも、主との関係が良い関係であれば、神様が喜ばれることを行います。しかし、私たちが従わないからと言って反逆者とみなすことはありません。主は常に、主にならい、主に従うことを教え、リマインドしてくださいます。私たちは自分自身を神様にお委ねすることを学び、主の御こころが自分の上に成就するように考えなければなりません。主の道こそ正しく、より良い道だからです。
 
2.主の愛にならうと言うことは、チャレンジをともなうけれども喜びがある
 
教会の中には多くの物事を行う人になりたくないと思う人がいるかもしれません。しかし、神様が教会を発展させてくださるのであれば、それに対して動こうとする教会の内には喜びがあります。主に従うことは主の愛にとどまることであり、主の平安と喜びが私たちとともにあります。奉仕をする時には様々な問題があります。しかし、神様は私たちに、互いに愛し合うことを命じられました。ですから、私たちと主との関係性に基づいて主の戒めを行おうとするのであれば、主は力を与えてくださり、私たちには心から他人を愛そうとする気持ちが生まれます。イエス様は私たちのために命を捨ててくださいました。主は、私たちを助けると言う旧約聖書から語られていた約束を、命をもって果たしてくださったのです。
 
3.主の愛にならうことによって主の友となれる
 
友達と呼べる関係とは、良いところ悪いところ、全てさらけ出せる関係ではないでしょうか。イエス様は、父なる神から聞いたことを隠すことなく私たちに知らせてくださいました。それは、私たちのことを友として見てくださるからです。神様は、より多くの人がイエス様を知ることができるように、恵みによって私たちを福音伝道に遣わされました。ですから、主に従い、主の御こころを行うのであれば、私たちは主の中にあり、主が私たちの中にあり、それによって私たちが実を結ぶことができ、より多くの人の心が神様に向けられるのです。主は私たち主を信じている人々をすべて結び合わされた関係の中に導いてくださいます。イエス様が互いに愛し合いなさいと命じられたのは、私たちがこの関係性を保つことで、神様と結び合わされることができるからです。