「起きよ。光を放て。」 邵晨光牧師–2022.12.18


「起きよ。光を放て。」
イザヤ書60:1-3;邵晨光牧師

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  今は特殊な時代です。ウクライナの戦争やコロナは終わっていません。すでにコロナワクチンを5回摂取した人もいることでしょう。いつ終わりが来るかわかりません。

 イザヤ60:1には「起きよ。光を放て。」とあります。この世は暗闇で、問題ばかりあります。だから、起きて光を放たなくてはいけません。神様は私たちに光を伝える者になってほしいと願っています。シオンとは光であり、町であり、主の山であり、宮でもあります(イザヤ2章)。神様は私たち一人一人に光を伝える者になってほしいと願っています。私たちが真の光を放つことにより、主のメッセージを伝えることができます。この2年は望みのない2年でした。家に閉じこもっていた人もいることでしょう。しかし、主の民には喜びがあります。家にばかりいると、夫婦喧嘩が増え、離婚率が上昇したという話も聞きます。暗闇に光が届けばよいのです。

 その光は、主の栄光です。主の栄光が私たちの上に輝いています。主の栄光について初めて記述されたのは出エジプト記です。イスラエルの民が荒野に出たばかりの時、お腹がすいたと不平不満が出ていました。エジプトでは過酷な生活でしたが、食物はありました。そこで神様の栄光があらわれ、イスラエルの民にマナを与えました。主の栄光が主の民を養い、救ったのです。栄光とは、力と権威です。

 2回目に主の栄光について記述されたのは出エジプト記24章であり、申命記5章にも記載があります。モーセが主から授けられた石の板をもって山から下りた時、主は山のふもとで偶像礼拝をしていた民を滅ぼそうとしました。モーセは神様に祈り、神様はその祈りを聞かれました。民が文句を言うときに、神様はその民を養いました。困難の中で憐れみをあらわしました。このようにモーセは神の栄光と憐れみを見ました。神様は私たちに栄光をあらわしてくださいます。

 イエス様は罪に打ち勝ち、罪を取り除き、罪をゆるしました。神の栄光が民の上にあらわされました。光は主の栄光であり、私たちの上に輝き、私たちも光を放ちます。主の栄光を伝えるためには、あかしをするように良い知らせを伝えます。イエス様が私たちのためになさってくださったことを伝えるのです。それが、起きて光を放つことです。

 光を放つことは私たちの使命です。光によって暗闇は除かれます。光が来れば暗闇はなくなります。この世の多くの人は唯一の神様を知らず、自分のやり方で何かを礼拝をしようとしています。善行をすることで自分を救おうとしたりします。しかし、彼らは前に進めずに滅びに向かっています。神様は私たちを通して光となります。私たちの光は神様から来ているのです。私たちの光は国や王たちをも引き寄せます。今の時期はいろいろな場所でイルミネーションを目にすることがあります。光は喜びだけではありません。私たちも光になることが、神様から与えられた使命です。私たちが光となって周囲を照らすことができますように。主の光を高く掲げるとき、人々はイエス様に近付き、イエス様を信じます。私たちの光は、自分のためにではなく、他人のためにあります。私たちは今年受けためぐみを他の人に伝えることができます。誰かが私たちのあかしを必要としているかもしれません。様々なところで主の光を放つことができますように。