「神ご自身が備えてくださる」王鋭伝道師–2022.12.11


「神ご自身が備えてくださる」
創世記22:1-8;王鋭伝道師

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  信仰の父アブラハムは神様から大いなる試練を与えられました。しかし、この試練を通して、アブラハムは本当の意味での信仰を私たちに見せてくれたのです。アブラハムの信仰というのは「従う」ことによって表されました。従うということは私たちの理解に及ばない命令であっても従うことです。本日の聖書箇所から「従う」ということは行いにおいて表されるということを学びます。
 
神様はアブラハムに「あなたの愛しているひとり子イサクをわたしが示す地へ連れて行き、全焼のいけにえとしてささげなさい。」と、命じました。全焼のいけにえとは、殺して皮を剥ぎ取り、肉を切り分け、内臓を水で洗い、そのすべてを火の上のたきぎにのせたささげ物のことです(レビ記1:6〜9)。アブラハムは長年神様に仕えてきました。神様の属性について、愛についてよく知っています。神様の憐みも経験しています。この命令は神様からのものであることを知っています。ですから、理解に及ばない命令であっても従い、神様に対する信仰を表したのです。このような従順こそが本当の「従う」ということです。
 
神様がアブラハムに仰せられたこの命令に従うことは簡単なことではありません。しかし、アブラハムは衝動的にではなく、心を尽くして直ちに行ったのです。私たちが教会で奉仕を捧げるとき、家庭内や会社で働くとき、従うことを選んだのであれば上辺だけではなく、心を尽くして従いましょう。これこそがアブラハムが私たちに示された模範です。
 
アブラハムがこの命令に従うことができた理由として、ヘブル人への手紙によると「神には人を死者の中からよみがえらせることもできると考えました。」(11:19)とあります。アブラハムは年老いたサラがイサクを産むという、神様の大いなる力を知っていたので、神様の命令があればイサクはまた復活すると考えました。しかし、神様はアブラハムの考えをはるかに上回る恵みをお与えになりました。イサクの身代わりとなるいけにえの雄羊を備えられ、イサクには一つの傷も負わせなかったのです。
 
神様はご自分のひとり子であるイエス・キリストを私たちすべてのそなえものとされました。私たちの罪はイエス様が十字架で流された血潮でもって洗いきよめられたのです。アブラハムが救われたのは、のちに来るイエス・キリストを信じていた故です。ですから私たちは神様を信じなければなりません。「従う」ということは私たちの信仰を表すに過ぎません。本当の意味での信仰をもつ一人一人は必ず救われ、神様に愛されます。この愛はどのような被造物によっても切り離されることはありません。それは、この愛がイエス・キリストの内にある愛たがらです。これこそが福音です。このような奇しいみわざを行ってくださる神様に、私たちは信頼してより頼むほかないのです。