「まことの感謝」林原億牧師–2022.11.27


「まことの感謝」
ルカの福音書17:11-19;林原億牧師

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 聖書は私達に、神様に感謝するよう教えています。これはとても簡単な真理についての教えですが、心から感謝を捧げるのは決して簡単なことではありません。まことの感謝には3つのポイントがあります。
・神様の恵みを体験したから:神様に困難から助けていただいた経験があれば、感謝せずにはいられないでしょう。また神様の救いに与り、永遠の命が与えられたからこそ、私たちは感謝するのです。
・信仰が私たちの人生を変えたから:人生が変えられると、人を見る目が変わります。粗探しをするのではなく、相手もまた神様につくられた人なのだと思えるようになります。
・信仰によって人間関係が変えられるから:人間関係の多くは利害関係によって成り立っていますが、信仰がもたらす関係はこれとは異なり、平和と調和をもたらします。相手を祝福し、また相手が祝福されることを願うものです。
 これらの理由から、私達の人生は感謝で満たされているのです。

 今日の聖書箇所で、10人のツァラアトに冒された人が癒されましたが、イエス様の所へ戻って感謝したのはうち1人だけでした。残りの9人が戻って来なかったのは、彼らにとってイエス様は単に病を治してくれた人であり、御国の王だと気付かなかったからです。自分の目的を達成するための道具としてイエス様を見る人は、利益が手に入れば離れていきます。しかしイエス様が命の道であると認めるなら、人生が変えられ、真理の道を歩むことができます。

1.主の不変の愛ゆえに感謝する
 (17:11)上られる=“行く”という言葉は、イエス様が神様からの命令に従っていることを表しています。イエス様は苦しみを受けると知っていながら神様からの召しに応えました。人生の主権を神様に委ねなければ、神様のために苦しみを受けたり、命を捧げたりすることは到底できません。もし私たちが自分の人生を神様に委ねるなら、神様からの召しがあったとき“行く”ことが祝福に与ることなのです。たとえそれが苦しみを伴うものであっても、このように神様に仕えることができるなら、自ずと感謝が生まれます。

2.主が絶望から希望へ導いて下さったからこそ感謝する
 (17:14)“きよめられる”とは、神様との関係が回復したことを指します。これは病が癒される事よりもっと重要なことです。病が治ることを祈っても、病はまた繰り返しますが、私たちが神様との関係を求めるならば、それは永遠に至ります。神様との関係が回復したとき、彼らが隔離から解放され社会との関係も回復したように、人間関係は人と神様との関係から始まります。神様を愛すれば愛するほど、人を愛するようになるのです。

3.必要を満たされたからではなく、救いを与えられたから感謝する
 (17:15)“わかる“とは、実際に見たのではなく、心で“これこそが神様の働きである”と理解したことを指しています。だからこそ彼は大声でほめたたえ神様に栄光を帰したのです。
 (17:16)当時サマリヤ人は律法で宮に入ることを禁じられていました。しかしイエス様が神であるとわかったので、ひれ伏して感謝をしたのです。私達もこのように霊的な目で見る必要があります。神の御業であるとわかると、初めて心から感謝を捧げることができます。
 また、感謝には行動が伴います。もし私たちの人生に神様が働かれていると知っているなら、きっと応えが出てくるでしょう。私達一人ひとりが、行動で感謝を表していけますように。