「信仰のみ」林原億牧師–2022.10.30


「信仰のみ」
へブル人への手紙11:1-16;林原億牧師

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マルティン・ルターは当時の腐敗した教会を正そうと、1517年に宗教改革運動を開始しました。そして同年10月31日に「95箇条の論題」を提出したことから、教会においては毎年10月の最終主日を宗教改革記念日としています。宗教改革において最も大切な考え方は①イエス・キリストを信じることによって救われたという「義認」②キリスト教信仰において最も大切な「聖書」③神様を信じるすべての人は神の御前に出て奉仕することができるという「全信徒の祭司性」です。この3つの重要なポイントから「ただ信仰のみ、ただキリストのみ、ただ聖書のみ、神にのみ栄光あれ、ただ恵みのみ」の5つの「のみ」が教会にとって大事な柱となりました。今日は「ただ信仰のみ」について考えていきたいと思います。
 
1.信仰とは、目に見えないものを確信させるもの
 
 信仰において重要なことは、望んでいる事柄と、目に見えないもの(望んでいる事がらの実態)です。信仰は将来与えられるものの土台です。今、目に見えていないものをしっかりと握り締めることができるのは信仰があるからです。信仰は望んでいる事がらの実態であり、目に見えないものの確証であります。ギリシャの哲学者プラトンは、この世の中は真実ではなく、私たちの精神で見ているものであると述べています。このことから、私たちの神様に対する信仰がどのようなものであるのかが大事になることがわかります。私たちが神様への信仰に対して自信を持ったとたき、そのような信仰を神様は称賛され、証しをしてくださるのです。私たちが神様に称賛され、神様への愛を証ししてくださることを望むのであれば、目に見えない神様をもっと大事にすることができるようになります。見えるものは目に見えない神の御ことばによって造られました。ですから、私たちが御ことばにしがみついたときこそ、神様への信仰を持つことができるのです。信仰とは、神様に喜ばれ、神様が私たちとともに歩むことです。
 
2.アブラハムとその子孫の信仰
 
 アブラハムは何処へ行くかもわからないまま神様の召しに従い出て行きました。ここで「召しを受けて従う」までの時間は非常に短いものです。アブラハムは神様の召しを受けてすぐさまに出て行きました。9節には、信仰によって、約束された地に他国人のように住み、天幕生活をしたと書かれています。神様から与えられた地であるにもかかわらず、まるで寄留者のようでしたが、アブラハムが待ち望んでいたのは目に見える地ではなく、堅い基礎の上に建てられた天の都なのです。アブラハムにとって大切なものは目に見えないものです。アブラハムの信仰はともに約束の地を相続するイサクとヤコブにも受け継がれ、多くの子孫が生まれました。ですから、私たちが信仰の道をしっかり歩んでいるならば、そこには神様の喜びがあり、他の人も私たちから影響されるようになります。
 
3.本当の目標は天の都
 
 アブラハム、イサク、ヤコブは神様からの約束の地を見ることはありませんでしたが、神様を信じていました。神様から与えられているものを見えていないにもかかわらず信じていたのです。これこそが信仰です。これは宗教改革記念日を覚える上で最も大切なことです。アブラハム、イサク、ヤコブが神様に喜ばれているように、私たちもこのような信仰を持つとき、神様は喜んでくださるのです。神様が喜んでくださるとは、神様が顧みてくださることです。時に、神様は私たちを無一文にしますが、すべてのことがお出来になる神様に全身全霊でより頼むとき、私たちは豊かになるのです。