「アブラハムは同じ失敗を繰返す」王鋭伝道師–2022.10.16


「アブラハムは同じ失敗を繰返す」
創世記20:9-18;王鋭伝道師

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アブラハムは同じ場所で躓きました。これはアブラハムに限ったことではなく、人の共通点です。私は2年連続登山で失敗しました。前の年の教訓を生かせず、サイズのちょうどよい同じ靴を履いたがために下りで足が痛い思いをしたのです。人はこのように何度も同じ過ちを繰り返します。創世記20章で、アブラハムは12章で犯した過ちと同じ過ちを繰り返しています。アブラハムは自分の身の安全のために妻サラは自分の妹だと言い、妻を売ったのです。当時のアブラハムは財力もあり、神様は何度も彼の前にあらわれ、直前にもイサクを与える約束が与えられたばかりでした。

10節でアブラハムに話しているのはペリシテ人の王アビメレクです。ペリシテ人といえば、悪い人たちの典型とも言えます。そんなアビメレク王がアブラハムを責め立てる言葉は正しく聞こえます。クリスチャンの私たちも、学校や職場、近所で周りのノンクリスチャンが言うことのほうが正しいのではないかと思うことがあります。アブラハムは神様から選ばれました。私たちを含めた全ての民は彼によって祝福がもたらされます。しかし、アブラハムは自分の妻を売り飛ばしました。異邦人よりも悪いことをしたのです。

エジプトや異邦人はこの世の闇の代表です。私たちもエジプトから出なくてはいけません。世の闇を代表しているペリシテ人の言っていることのほうが正しく思えるのです。アブラハムの弱さは私たちと同じです。私たちは神様を信じて何年経ったとしても、周りの同僚やクラスメートたちと少しも変わらないのではないでしょうか。罪の力は堕落した後の世の中にあります。人は本当に弱いので、神様の真実、力、慈しみがあらわされます。私たちには神様に望みがあります。

アブラハムは全くの嘘をついたのではありません。サラが自分の妹であるということは、事実の半分に過ぎません。私たちが他人を批判すれば、自分を褒め称えることになります。アブラハムは自分が正しいと言いました。自分が義であると思ったときに、人は躓きます。ほかの人は神様を恐れていないとアブラハムは言いましたが、異邦人の方が神様を恐れていたことが20章全体からわかります。アブラハムは人に対しておびえていました。12節では自分のために言い訳し、嘘の半分は正しいと言っています。事実の一部を切り取って妻である自分の妹を、妹だと言いました。事実の一部を伝える同じような嘘は、メディアにもはびこっています。聖書の「さすらう」という言葉は「道を誤る」という意味です。アブラハムは神様の力を疑った信仰の弱い者でした。信仰が弱いとは信じていないのと同じことです。罪の根本は信じていないことです。神様を信じていなければ、同じ失敗を繰り返してしまいます。イスラエル人も荒野で同じ罪を繰り返しました。心の中で疑い、神様を信じていませんでした。自分の繰り返してしまう罪を思い返してみると、2,3種類の同じような罪を繰り犯しているはずです。すでに起こったことは、また起こってしまいます。罪の鎖で縛られると、同じ場所で躓き、絶望感を感じます。私たちの黒歴史を消すことはできません。唯一の望みはリーダーや偉人の中にはありません。イエス様の愛の中にあります。

20章にアブラハムが正しいことをしたとは書かれていません。しかし、彼は祝福されました。アブラハムもふさわしくない者でしたが、神様の恵みによって、祝福されたのです。