「祝福を受ける家庭」林原億牧師–2022.09.25


「祝福を受ける家庭」
詩篇128:1-6;林原億牧師

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キリスト者にとって家庭は大切です。詩127、128編の都上りの詩は、家庭あるいは知恵の詩と言われています。私たちが神の祝福に預かった時、個人的な信仰が家庭にも祝福をもたらします。キリストの愛が家族の上に届き家族を一つにします。家族全員が神を礼拝します。それは神に仕えるということです。そして家庭が福音伝える拠点となります。そのためにはまず私たちがキリストの愛を受けなければなりません。キリスト者の家庭は共に聖書を学び成長していくのです。そして共に神の恵みを経験するのです。では幸福とは祝福を受けるとはどういうことでしょうか。

私たちは世の成功を幸福と考えます。しかし聖書が教える祝福は主を敬い恐れ主の道を歩むことです(1節)。信仰は私たちの必要を求めるのではなく神の御栄を現し人々に益をもたらすためにあるのです。私たちの命が神の御心の内を歩むなら神の幸いに預かることができます。主を恐れ主の道を歩むことによって祝福を受け繁栄するのです。私たちが神の恵みに預かったとき、神に目を向け私たちの家庭を神に委ねます。そして神の教えに従って家庭を営みます。私たちが神の道を歩むなら自分も家族も神の内に留まります。私たちの家族を神に委ねることを学びましょう。あなたの子らはあなたの食卓を囲んで、オリーブの木を囲む若木のようだ(3節)。苗はやがて大きな木に成長します。それはあなたに希望をもたらす子供だという意味です。植えるだけではなく育てなければなりません。主を恐れる人の家庭は神の幸いに預かることができます。見よ。主を恐れる人は確かに、このように祝福を受ける(4節)。神が私たちに祝福を与える目的は、私たちの家庭を通して他人の祝福になることです。

主を恐れる人とは主なる神の主権を認める人のことです。主は私の主、私の家庭の主で、私の家庭を管理する権利があります。ですから私たちは神に自分をゆだねなければなりません。主の主権を認めることができるなら祝福を受けると聖書に書いてあります。又主を恐れるのには罪から離れるという意味もあります。キリスト者は神との愛と平安を重んじるのです。

主はシオンからあなたを祝福される(5節)、これはキリスト者の家庭の影響力について語っています。神の家庭への祝福はやがて教会にも影響力を及ぼします。あなたは命の日の限りエルサレムの繁栄を見よ(5節)。私たちの家族が神を学ぶならば家族が繁栄します。私たちの教会に素晴らしいキリスト者の家庭があるならば、その教会には神の祝福があります。あなたの子らの子たちを見よ(6節)。私たちは受けた祝福を他の人に分け与えなければなりません。その子らも神の祝福にあずかり、主なる神を恐れ敬う子になります。あなたの子らの子たちを見よ、イスラエルの上に平和があるように(6節)。神の平和が私たちと私たちの家庭に届きその平和が教会に届きます。またその平和が社会に届くようになります。

主が私たちの家庭を助けてくださいますように。家族と一緒にいる時間を作りましょう。家族の為に祈りましょう。家族が一人として欠けることがないようにしてください。