「人が、ひとりでいるのは良くない」王鋭伝道師–2022.09.18


「人が、ひとりでいるのは良くない」
創世記19:30-38;王鋭伝道師

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 処罰の方法の一つに監禁があります。たとえ食事が与えられても小さな窓のない部屋で1,2日監禁されれば、誰でもおかしくなります。このように暗闇と孤独は苦しいものです。なぜなら人は光の中で創造されました。「人は一人でいてはいけない」と神様から伴侶が与えられた人には、仲間が必要です。それなのに人は孤独や暗闇を好みます。お金があれば、プライベートジェットや電車の個室を選びます。日本では通勤電車の中で高性能イヤホンをつけている人が大勢います。ノイズキャンセリング機能のついたイヤホンで、混んだ電車の中でも一人の時間を持つことができます。人は創世記の頃から、他の人から隠れよう、一人でいようと試みました。最初に罪を犯したときの初めての反応は、神様から隠れることでした。

 ロトはほら穴を見つけてそこに二人の娘と住みました。ロトは生涯受動的な人でしたが、ソドムを選んだこととほら穴を選んだことは例外でした。罪人の心には恐れがあり、罪があると本当の平安はありません。どこかに閉じこもろうとします。恐れに中にあり、神様の義を恐れます。罪の中で生きているので、私利私欲に満ち、他人に責任転嫁します。世の中には桃源郷はありません。もしこの世から隔絶された町があれば、そこは盗人の里でしょう。

 私達は神様から逃げるすべはありません。裁きから逃れられません。聖書の中の霊的な偉人であるダビデもエリヤもほら穴に隠れました。もし、教会での奉仕が自分がやるべきことと考えるならば、すぐに傷ついてしまいます。実を結べば結ぶほど迫害も大きくなります。ダビデは同胞のイスラエル人に追われました。エリヤがシナイ山のほら穴に逃げたのは、異邦人ではなくイスラエルの王と王妃に追われたからです。教会は利益を求める場所ではなく愛を語るところです。神様があなたを通してなした業は何でしょうか。神様の家はイエス様の恵みだけです。少しでも自我を加えれば、憂いや苦しみが出てきてしまいます。

 リーダーになることは辛いことです。「すると主は仰せられた。「わたし自身がいっしょに行って、あなたを休ませよう。」出エジプト33:14」本当の奉仕は休むことです。神様が働かれます。奉仕をすることで心に平安を得て、休むことができます。運転初心者が運転中力んでしまうように、力んではいけません。神様による自動運転です。私達は何かにあせる必要があるでしょうか。力んだ運転や車両を押して歩けくならば辛くなります。神様は私達とともに歩まれます。神様の働きは自動運転よりずっと賢いのです。神様の働きに任せれば、私達は車窓からの風景を楽しむことができます。奉仕で傷ついても人のいないところへ離れていかないでください。私達は暗闇ではなく光の子として作られました。
 ロトが犯した2つの罪は、酒に酔った罪と姦淫の罪です。暗くて孤独な生活をしていると酒や麻薬が欲しくなります。アメリカでは生活保護者にお金ではなく、食品券を配布しています。お金を与えるとお酒に使ってしまうからです。ロトの当時のお酒はアルコール度数が低かったので、たくさん飲まないと記憶をなくすほど酔えないはずです。ロトは途中で飲酒を断ることができたはずが、そうしませんでした。今の孤独な人には娘がいないかもしれませんが、スマホやPCで色んなサイトを見ることで幻想を満たすことができます。人に邪魔されなければ良いと考えているかもしれませんが、理想郷は想像の世界であり、強盗の巣なのです。孤独と逃げることを選択してはいけません。

 エリヤはカラスに助けられ、天使に助けられました。御言葉で神様自身がほら穴にいるエリヤを助けました。自分が孤独だと思わないでください。神様はどこにでもおられます。イエス様は誰よりも孤独でした。最も孤独だったのは、弟子たちに捨てられたときです。血の汗を流して祈ったとき、弟子たちは眠っていました。十字架の上で父に捨てられたときが、最も暗いほら穴の中でした。イエス様は私達が二度と孤独にならないように、十字架にかかりました。イエス様は私達ともにおられます。私達は全ての重荷をイエス様に委ねることができます。本当の平安は誰からも奪われません。イエス様の中に隠れるならば、そこに本当の救いがあります。