「奉仕の真髄」林原億牧師–2022.09.04


「奉仕の真髄」
マタイの福音書25:14-30;林原億牧師

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  今日は奉仕に関する聖書の教えについて、いくつかのポイントから共に学びたいと思います。
・人に見られていなくても忠実に奉仕をしているか:私達は人前での顔と裏の顔を持っており、時に一貫性に欠けることがあります。しかし奉仕は、人に見られていなくても忠実に行うべきものです。
・自分の行いが意義・影響力のあるものと考えているか:重荷に感じていたことが、奉仕を通じて自身の中で大切なものに変化していくことがあります。それだけ奉仕は影響力をもつものなのです。
・将来主に再会する時、清算できるかどうか:私達は時にいい加減な気持ちで奉仕することもあるでしょう。しかしいつかは主と清算しなければなりません。その時主は私達に、家や車、財産のことは聞きません。神様のために何をしたかが重要なのです。
・聖書の原則に則って奉仕をしているか:聖書の原則に則っていない時、私達は自身の知恵・この世の考え方でそれを成し遂げようとします。これが奉仕において大きな妨げとなります。
これらを踏まえて、今日の聖書箇所から以下のことを分かち合いたいと思います。
 
1.奉仕は神様から託されたもの
 (25:14)ここで言うしもべは“主人の財産を管理する”という重要な役割を持った人です。奉仕はある種、管理人(=主人の考えを理解する人)の意味合いをもっています。自分のしたいことではなく、祈って神の御心を求めるものです。
 (25:15)1タラントは当時の労働者の約20年分の給料にあたります。神様が私達に与えられた証明は大きく、それだけ神様は私達のことを信頼してくださっています。主は私達に大きな賜物を与えてくださいました。ゆえに私達は主のために大きなことを成し遂げることができるのです。
 (25:16-17)5タラント・2タラントを預かったしもべは疑わず「すぐに」行きました。ここからわかるように、奉仕には積極性が必要です。神様は自ら私達との関係を築いてくださいます。そして私達が早く主の御心を察し、御心の中に歩むことを期待しています。

2.奉仕には忠実な態度が必要
 (25:21-23)5タラント・2タラントを預かったしもべと、1タラント預かったしもべの違いは、奉仕を忠実に行ったかどうかです。教会の奉仕においても忠実さはとても重要な要素の一つです。
 (25:19)多くの奉仕も、ここにあるように「よほどたってから」結果がわかります。時間を通して、その人が主を頼って奉仕しているか、自分の考えだけに頼っているかがわかるのです。主に喜ばれる奉仕ができたかどうかは、主の前に出たときに“わずかなものにも忠実であったかどうか”を基準に清算されます。私達が忠実さをもって応えるとき、神様はさらに多くのことを私達に任せてくださいます。そして多くのことを任された時、より多くの喜びを神様と分かち合うことができます。

3.奉仕の最後には清算がある
 (25:24-30)主人が、1タラントを預かったしもべを「悪いなまけ者のしもべだ」と言ったのは、彼が主人に「ひどい方だ」と言ったからです。彼は主人が自分を利用していると思っていました。彼の問題は、人と比べたり、文句を言ったりして忠実さを欠いたことです。
また忠実というのは、自分の考えからくるものではなく、神様の御心に従うことです。私達は神様の導きと命令に従って働くしもべなのですから。私達が力を尽くして神様から任された仕事をするなら、たとえそれが床掃除だけであっても主は称賛してくださるでしょう。「良い忠実なしもべだ」と。