「神の目線」林原億牧師–2022.08.28


「神の目線」
エレミヤ書1:4-19;林原億牧師

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  本日の箇所は、主が、平凡な人エレミヤを呼び起こされた場面であり、聖書の中の預言者の召命に関する最も重要な箇所である。奇跡とは、我々の不可能の中において、主の働きを見させるものであり、その恵みを誰ひとり否定することはできない。同様に、平凡な人の中からひとりを選ばれたことに、主の偉大さが表れている。用いられた者の偉大さではなく、主がエレミヤを選んだのだ。
 
 奉仕は、自分のためではなく、心から主に捧げるもの。エレミヤにはこの志があったので、主の御言葉が彼の上にのぞんだ(4節)。神の御言葉を”聞く”とき、「語ってください、従います」という思いが必要である。同時に、主の目線では「聞き入れてほしい」という願いがある。暗黒の時代において、エレミヤには”聞く“思いがあったので、主から使命が与えられ、立ち上がって、主の御言葉を述べ伝えようとした。
 
 1.奉仕生活において、我々は心を尽くして、一番良いものを主に捧げているだろうか。目の前のことに捉われず、将来を見据えた奉仕が必要である。奉仕には、知識だけでなく、経験も必要とされる。聖書を一語一句学ぶだけでは足りない。時に、主の導きの中で、必要性の分からない経験や、恐れを抱く場面があるだろう。主がエレミヤを「完璧に知っている」と言われた(5節)ように、主はあなたのことも全て知っておられる。そして、主がどのような方であるかを我々が求めることを、主は望んでおられる。先の見えない未来に対して、我々ができることは、ただ祈ること。「主よ、助けてください。兄弟姉妹を助けることができるように」。常に主により頼むことこそ、正しい奉仕である。召命も奉仕も容易ではないが、主の御言葉には大いなる権力があり、必ず成就する。若いエレミヤは恐れを抱いた(6節)が、その彼に主がことばを授けられた。このように、主に立ち返るとき、正しい行動が用いられていくのである。
 
 2.主の目線とは、主の啓示であり、これによって正しい奉仕ができるようになる。11節は、主の目線を示している。エレミヤが語る主のことばを40年間誰も聞かなかった。冬のように成果も収穫も無いように見える中でも、従順に仕えるなら、主はそれを見て、花を咲かせる。13節は、エレミヤの目線である。当時の強国アッシリア帝国ではなく、その近隣の小国バビロンを、主が起こそうとしていること。この神のビジョンが与えられたエレミヤは、正しい態度をとった。イスラエル人がすぐに立ち返ることができるよう、40年間諦めずに、主の御言葉を伝え続けたのである。このように、主の目線を知らなければ、我々は十分な準備ができなくなる。将来を見据えて、たえず祈り求めてこそ、正しい道に歩むことができる。
 
 3.主は、召し、備え、守り、用いる方である。主の目線は、何をするべきかを示しただけでなく、エレミヤを強めた(17節)。奉仕には、必ず主が共におられる。敵対する者・地位の高い者が立ちはだかろうとも、彼らは勝てない。ただ自分を主に委ねることが、エレミヤの奉仕の根源であり、彼の信仰である。彼の視線は、主の御言葉にあった。私たちも同じように、ただ主に委ねること。主は、御自身のことばを必ず成就される。神のことばが、我々に正しい目線を与える。これが正しい奉仕に繋がり、これを主が用いてくださる。
 
 どうか主が助けてくださるように。私たち教会も、エレミヤのように正しい奉仕に歩み、主に用いられるように。