「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」鈴木啓明宣教師–2022.08.21


「私たちが神の国に入るには、多くの苦しみを経なければならない」
使徒の働き14:1-7、19-26;鈴木啓明宣教師

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   パウロの最初の伝道旅行はシリアのアンテオケから出発し、帰りは行きとほぼ同じルートを通りました。使徒14章にはこの旅の帰路について記されています。パウロはイコ二オムで異邦人とユダヤ人から迫害を受けます(14:5)。彼らはパウロを石打ちにしようとしましたが、パウロは事前にそれを知って、イコ二オムを離れました。そして迫害される原因となった福音を伝えに、ルステラとデルベに行きました(6節)。

 19節はルステラでの出来事です。パウロを迫害する者たちは、アンテオケやイコ二オムからパウロを追いかけてきました。迫害されることがわかっていても、パウロは神様の御言葉を教えるために翌日デルベに戻りました。新しくクリスチャンになった人たちに、クリスチャンとしてどう生きるべきかを教えるために戻ったのです。教会の兄弟姉妹が成長できるよう、クリスチャンになった人たちを励まし導くために戻りました(23節)。ルステラはパウロが半殺しにあった町です。デルベの東にはパウロの故郷であるタルソがあり、更にその東にはパウロを送り出した教会があり、霊的な家族が待っています。しかし、パウロは安全な場所に逃げず、新しく信仰を持った人を励ますために危険な場所に戻りました。

 信仰はあっという間に失ってしまいます。新しいクリスチャンであればなおさらです。日曜日のメッセージを聞いて感動しても、せいぜい1日くらいしか感動はもちません。私は洗礼を受ける前後2週間位の間、喜びの涙が止まりませんでした。それほど喜んでいたのに、3ヶ月後には教会を離れ、聖書も読まなくなりました。しかし、神様が私のことを忘れなかったことに感謝しています。先週8名の方が洗礼を受けました。そのような人たちを励ますために、パウロは自分の命をかけて戻りました。これくらいのことをしないと、新しいクリスチャンを守ることはできません。古いクリスチャンも守りが必要です。聖書を読めば読むほど知らなかった事をみつけます。私達クリスチャンは聖書の勉強会で毎回新しいことを学ばないかもしれませんが、同じことをくり返し聞くことは重要です。

 私達も新しいクリスチャンを歓迎し、受け入れ、ともに食事をして、グループに迎え、会話をし、祈りましょう。祈ることは一番難しいけれども、効果があります。パウロが諦めなかったのは、イエス様が命の代価を払って救われた兄弟姉妹たちだからです。神様にとって命をかけるほどに貴重な人たちです。パウロは彼らを命をかけて守ろうとしました。新しく洗礼を受けた兄弟姉妹たちを私達は諦めてはいけません。彼らにも代価が支払われています。

 22節にある苦しみとは、イエス様のために苦しむことです。信仰のゆえに家族から縁を切られ、好きな人を諦め、礼拝のために日曜日の仕事を諦めたりすることです。職業が宣教師だと、なかなか家を貸してもらえないこともあります。国によっては政治的に苦しむクリスチャンもいます。私達は苦しみを経なくてはいけません。苦しむかもしれないではなく、必ず苦しむのです。しかも、多くの苦しみを経なければなりません。自分がクリスチャンであることを隠せば、苦しまなくて済むでしょう。しかし、それでは福音を伝えることはできません。信仰によって迫害されるとき、神様はこの子は私の子、私の喜ぶ子と認めてくださり、守ってくださいます。

 天国への道は狭く、天国の門は小さいのです。イエス様に助けを求めれば、私達は見捨てられることはありません。パウロは神様に守られていたので殺されませんでした。パウロがローマに行くことが神様の御心だったからです。イエス様も群衆に崖から落とされそうになったとき、守られました(ルカ4:30)。なぜなら、イエス様が十字架にかかることが神様のご計画だったからです。私達はいつ死んでも不思議ではありません。私達には神様のご計画がわかりません。ステパノは石打ちで殉教しました。重要なのは、神様の許可無くして死ぬことはできないということです。私達は死を恐れる必要はありません。死は天に入る扉です。天では神様から報酬を得ることができます。小さな報酬の人も大きな報酬の人もいます。どれだけ兄弟姉妹を勇気付け守ったかで報酬が変わってきます。パウロは命をかけて兄弟姉妹を守りました。