「祈りと宣教」林原億牧師–2022.07.31


「祈りと宣教」
テモテへの手紙Ⅰ2:1-7;林原億牧師

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  パウロがこの聖書箇所をのこしたのは、エペソの教会で様々な問題に直面したからです。当時、既に異端の問題が発生していましたが、神学が確立していなかったため、多くの人が異端の間違った教えに惑わされてしまいました。異端の考え方はパウロの世界宣教のビジョンを邪魔しようとするものでした。ですからパウロは、何故、私たちが世界に出て行かなければならないのかを、敢えてこの手紙を書くことで主張しようとしたのです。
 
パウロは、教会が問題に直面しているとき、先ずは祈ることを勧めました。祈ることによって私たちは御こころから逸れず、神様からの智恵を与えられ、次に何をしたら良いか神様に示される時があるからです。そして、神様の御ことばを教え、神様の真理を教えることによって、教会や個人の生活に対して苦境の中から脱出させていただけるのです。パウロがこの手紙を書いたのは、最終的に信徒たちを神様の真理のうちに歩ませたいという思いからです。
 
神様の御こころとは、当時の人たちにとっては宣教に出て行くことでした。ですから、パウロは多くの兄弟姉妹を奮い立たせ、神様に用いられるために宣教に出て行くことを勧めました。そして、すべての人のために、高い地位にある人たちのために「祈りなさい」と、命じたのです。パウロは、神様がすべての人を救おうとしておられるという真理を知っていました。ですから、教会は外に目を向けて、社会の必要を見なければなりません。教会が外に出て行って伝道するためには、平和な社会であることが必要不可欠です。ですから、王と高い地位にある人たちのために祈るということは、教会にとっても良いことなのです。
 
宣教とは、現地の人々にわかる言葉でキリストへの信仰を教えることです。パウロはここで「敬虔」という言葉を用いましたが、当時、大女神アルテミスを敬虔に拝んでいた人々の姿がその地域の人々に尊敬されていたことから、彼らにわかりやすい言葉で、真理とは何か、それは、イエス・キリストを礼拝することが真理であり、正しいことであることを伝えようとしていたのです。
 
「威厳」という言葉も同じように、品位があり、正しく、周りの人々から尊敬されている人のことを示します。私たちが周りの人のために祈り、助けることによって、人々が私たちの信仰を知るようになります。福音伝道とは、ことばだけではなく、私たちの生活や人間性からイエス・キリストこそ救い主であるということを知らせるものです。
 
神様が望んでおられることは、すべての人が救われて、真理のうちを歩むようになることです。真理に身を委ね、真理のために励もうとする人になることです。神は唯一であり、神と人との仲介者も唯一であり、人としてのイエス・キリストです。