「主にたいするつぶやき」鈴木啓明宣教師–2022.07.24


「主にたいするつぶやき」
出エジプト記16:1-12;鈴木啓明宣教師

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 今日の聖書箇所は、イスラエル人がエジプトから脱出した約1か月後の話です。彼らは二つに分かたれた海を渡るという決定的な出来事を経験し、奴隷から解放されました。そして約束の地カナンを目指し荒野を歩いている中で、空腹を訴えエジプトでの生活に戻りたいとつぶやきました。ここで言う「つぶやく」とは、元のヘブライ語で「不平不満を言う」という意味です。これに対しモーセはこのように返しています。“あなた方のつぶやきは、この私達に対してではなく、主に対してなのです(出エジプト記16:8)”。モーセへの不満が神様への不満である理由は4つあります。
・モーセは神様から権威を授かり、神を代表して民を率いているから
・食べ物がないことに不満を持つのは、神を信頼していないから
・約束の地カナンでなくエジプトに戻りたいということは、神様の計画の成就を求めていないから
・約束の地カナンでなくエジプトでの生活を望むということは、神様からの祝福を望んでいないから
彼らの不平不満は、神様への反抗と言えます。これを踏まえて私達の生活を考えてみましょう。
 
1.不満を口にするくらいならば黙っている
海が割れる奇跡が起こった時、不満を言う民にモーセはこう言いました。“主があなた方のために戦われる。あなた方は黙っていなければならない(出エジプト記14:14)”。これはクリスチャンとして生きる上で重要な秘訣です。私達の神様への反抗は、やめないとますます激しくなり、神様からの裁きも激しいものになります。口を開くのなら不平不満ではなく、祈りの中で神の言葉(聖書の言葉)を口にするべきです。

2.どんな奇跡も私達の信仰を保証しない
イスラエル人達は、たった1か月前に海が割れるという奇跡を経験し、さらにその前に10個もの奇跡を見てきたにも関わらず神様に反抗しました。私達はどんな奇跡を経験しても、一生の信仰が保証されているわけではないのです。毎日神様に従っていかなくてはなりません。どんな奇跡を目撃しても、簡単に不平不満をもってしまうのです。

3.環境が変わり試練が訪れると神様から離れやすい
私達の生活環境も変わりつつあります。環境が変わり新しい試練が訪れると、私達はイスラエル人のように不平不満を言い始めてしまいます。そのひとつの理由は、神様を「助け手」としか考えていないからです。イスラエル人が奴隷から解放されたのは、神様に仕えるためでした。私達が罪の奴隷から解放されたのも、神様に仕えるためなのです。

また環境が変わりつつあると、生活が安定することによっても神様から離れやすくなります。試練が訪れているときは神様に寄り頼んでも、不安がなくなると神に頼ることを忘れてしまいがちです。
 
最後に、クリスチャンの伝統的な結婚式の誓いを皆さんと分かち合いたいと思います。“健やかなるときも病めるときも、喜びのときも悲しみのときも、富めるときも貧しいときも、愛することを誓いますか”。これは夫・妻に対してだけではなく、神様に対しても同じです。この結婚の誓いは「愛されることを求める」のではなく、「与えますか」という誓いです。私達は必要なものが足りていない時でも、神様を慕い求め、愛し続けられるでしょうか。