「ソドムに住んだ」王鋭伝道師–2022.07.17


「ソドムに住んだ」
創世記19:1-14;王鋭伝道師

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 住む場所は私達にとって非常に重要です。同じような家の間取りでも、場所や駅からの距離によって値段は大きく異なります。条件の良い家に引っ越せたのに、近所の人とトラブルが起こるかもしれません。この世のどこにいようともそれはソドムにいることであり、いつかは滅びます。ソドムは神様の目には最悪でした。カペナウムはイエス様が過ごした土地であり、ペテロも住んでいた場所です。

 ソドムは聖書に書いてあるとおり、人にとって良いところでした。ロトはソドムを選びました。そこにはエジプトのように水があり、神の園、エデンの園のようなところでした。おそらくソドムの人たちは勤勉で、雨がふらない場所でも灌漑を用いて土地を潤していました。人の働きによって発展するかしないかが決まります。もし物質的に富んでいたら、その人達は傲慢になることでしょう。

 天使たちは夜ソドムに到着しました。町の門のところにロトが座っていましたが、彼は長老ではなかったと思われます。ソドムにおいて影響力がないばかりか、家族でさえ彼の言うことを聞こうとしませんでした。当時旅人をもてなすことは徳を積む行為でした。外で野宿するのは野犬や悪い人たちに襲われる危険があります。天使たちは男性的な外見でしたが、ソドムの人たちは同性愛者でした。ロトしか義人が居なかったのです。8節は当時の道徳観です。ソドムの破滅はこの世の結末であり、不可避の堕落です。今、日々食べているものは自分が幼い頃正月に食べていたものよりも良いものです。物質の発展で人の心は傲慢になります。ソドムの結末は、その地に草も生えないほどであり、神様の裁きは徹底しています。ソドムの結末はこの世の結末でもあります。

 カペナウムの人たちは敬虔であり、至るところにユダヤ人の集会所がありました。彼らは安息日、祭日、断食、什一献金を守り、人を騙さず隣人を大切にしていました。カペナウムはイエス様が住んでいた場所であり、使徒ペテロも住んでいました。そこではいやしや悪霊の追い出がされていました。しかし、なぜ物質的に豊富であれど憐れみのないソドムのほうが、善い行いをしているカペナウムより良いとされたのでしょうか。当時のパリサイ人は、長い祈りをし、断食、什一献金をして、聖書に精通していて、孤児を助けることもしていました。善い行いをたくさんしていたのに、そこには愛がありませんでした。このように、善い行いをしていても、愛がない人がいます。ATMは丁寧で親切で間違えることはありませんが、感情や愛を持っていません。命がないので救いに導かれることはなく、いつかは滅びます。人もATMと同じようになってしまいます。いくら善い行いをしても、そこに愛がなければ驕り高ぶってしまいます。霊的な傲慢は、物質的な傲慢より恐ろしいものです。カペナウム、すなわちパリサイ人はソドムの人よりひどいのです。ATMは私のことを愛していないし、恨んでもいません。人は愛さなくても恨むことがあります。カペナウムの怖さは霊的な傲慢さです。それによって人は滅びに向かいます。

 ロトにこの場所から逃げないと滅ぼされると言われても、娘婿たちは信じませんでした。神様は人の弱さをご存知でしたので、天使たちはロトの手を取って逃げました。私達の信仰も揺れることがあります。私達はイエス様の中に住まなくてはいけません。イエス様は神様の右に座していますが、御霊が私達の中に住んでおられます。私達も神様の中に住むのです。善い行いや信仰はあてになりません。自分を試してはいけません。私達はキリストの家に住まなくてはいけないのです。キリストの隣人でもなく、神様の婿でもありません。私達の本当の望みは、神様の子供になることです。