「人の子は安息日の主です」上辻洋平牧師–2022.07.10


「人の子は安息日の主です」
マタイの福音書12:1-8;上辻洋平牧師

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  安息日はユダヤ人にとって神聖な日であり、今日においても、イスラエルの人々は安息日を非常に大切にしています。しかし、彼らのやり方は、習慣的に古いしきたりを守るだけであって、信仰的には何の役にも立たないものです。聖書に基づく安息日の精神とは、すべての仕事に構わず、一心に神様を礼拝することです。聖書の中で、安息日に対するイエス様の教えにはどのようなポイントがあるのでしょうか。
 
1.安息日にやってはいけないこと
 
律法の規定には、安息日にはすべての仕事を休まなければならないと書かれています。パリサイ人たちは、イエス様の弟子たちが安息日に麦畑の穂を摘んで食べたこと、また、イエス様が安息日に病人をいやしたことを咎めました。パリサイ人たちは律法を利用してイエス様を陥れようとしたのです。このように、人を陥れることは安息日にして良いことでしょうか。安息日にして良いことは、善を行うこと、神様に喜ばれることをすることです。神様に喜ばれることとは、神様を礼拝する日に正しく礼拝を捧げることです。そして、安息日に憐れみを施すこと、これも神様に喜ばれることです。パリサイ人のように人を責めたり、誹謗したりすることはやってはいけないことです。安息日にやって良いことと悪いことが理解できるようになると、どのようにして神様を礼拝すれば良いかがわかるようになります。
 
2.信仰者一人一人が祭司であると、聖書は教えている
 
神様が律法を定めたのは、私たちが神を愛し、人を愛するためであると、イエス様は教えています。愛は律法の全体にかかっています。ですから、祭司が愛の心をもってダビデを助けたことは間違った行為ではありません。また、弟子たちがイエス様に仕えることは、神様に仕えることと同じであると、聖書は教えています。イエス様はご自分に仕える弟子たちを祭司とみなしました。ですから、イエス様を信じるならば、神様に仕える尊い祭司となるのです。尊い祭司は神様に礼拝する日を聖別して、神様に仕え、神様に帰するのです。一人一人神様からいただいた賜物は違いますが、いただける分け前は同じです。私たち一人一人が祭司であり、一人一人が奉仕を
する責任があることを忘れてはなりません。
 
3.人の子は安息日の主
 
私たちの信仰の確信は、イエスはキリストであり、イエスは神と同じであるということを信じることです。ユダヤ人にとって、宮は彼らの信仰の中心です。「ここに宮より大きな者がいる」という、イエス様の発言は、ご自身が、ユダヤ人が礼拝している神であるということを表しています。「人の子は安息日の主」とは、安息日はイエス・キリストのために設けたものであり、私たちはこの日にイエス・キリストに礼拝を捧げること、イエス・キリストを中心とし、イエス・キリストを私たちの主人とするということです。旧約時代の安息日とは、今日私たちが礼拝を守っている日曜日であります。この日を聖別し、神様を礼拝することを大切にしましょう。