「神の国が来るということ」齋藤五十三牧師–2022.06.12


「神の国が来るということ」
マタイの福音書6:9-10;齋藤五十三牧師

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御国について三つのことを考えましょう。
 
1.御国とはなんでしょう
 
 御国とは、原文では「王国」という意味になります。つまり、愛と恵みに富み、きよく正しい王であられる神が治めるところが御国です。神が王として真ん中におられ、支配されるのであれば、そこに神の国があり、世界中のあらゆるところで神の国を見つけることができます。神が中心におられるのであれば、私たち一人一人の心にも神の国が来ているのです。しかし、日常の忙しさで心が騒ぐ時、ふっと立ち止まってみると、おかれた状況や身の回りのことを自分自身でコントロールしようとしていることがわかります。そのような時は「神の国が来ますように」と祈ります。神を心の中心に迎えるのであれば、自由と平安が訪れるからです。
 
2.王である神はどのようにして神の国を治めるのか
 
 神は御ことばと聖霊によって神の国を治め、導いています。イエス様が宣教を開始した時、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」と、仰いました(マタイ4:17)。神の国は御ことばが支配し、導くところにあります。キリストのことばを豊かに蓄えるのであれば、そこには神の国が広がります。神の国は人の経験や知恵によるものではありません。
 
 神の国は聖霊を通して守られ、治められています。ですから、私たちが祈りの内に聖霊の導きに従うなら、そこに神の国が訪れます。私たちが生活や人生の中心を御ことばと聖霊に明け渡すのであれば、そこに神の国が広がります。これが本当の幸せではないでしょうか。
 
3.神の国が来ると、そこでは何が起こるのか
 
 御霊の実は、「愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制」です(ガラテヤ5:22~23)。神の国はこのように豊かなものをもたらします。そして、神が私たちの神としてともにおられ、涙をぬぐい取って下さるのです(黙示録21:3〜4)。私たちは普段、神以外の様々な物事にとらわれ、不自由で苦しい状態にあります。神の国は御ことばと聖霊に支配されるところです。ですから「神の国が来ますように」と祈るのです。神の国からは「愛、喜び、平安」が広がります。
 
ー結論ー
 
 神の国を実現する為には、御ことばと聖霊の導きに従うことが不可欠です。神の支配は愛と慰めに満ちたきよい支配です。御ことばと聖霊の導きに従う人々のいるところに「教会」という神の国が育まれます。神の国を求めるとは「あなたがすべてのすべてとなられる御国の完成に至るまで、私たちがいよいよあなたにお従いできますよう、あなたの御ことばと御霊とによって治めてください。」ということです。御ことばと聖霊に従うのであれば、そこには小さな神の国が広がるのです。