「その町全部を赦そう」王鋭伝道師–2022.05.29


「その町全部を赦そう」
創世記18:16-33;王鋭伝道師

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聖書を通して啓示されている神様は、私たち一人一人のことを顧みてくださり、愛し、助けてくださいます。憐れみ深く恵み深いお方です。しかし、それだけではなく、さばきをおこなうお方でもあるということを私たちは認識しなければなりません。更にこの箇所から学べることの一つに、神の民である私たちは伝道の使命を実践していかなければならないということです。それは、あらゆる国の為にとりなしの祈りを捧げなければならないという福音の使命が託されているからです。
 
神様がアブラハムを祝福されたのは、アブラハムだけを祝福する為ではなく、アブラハムによって全ての国を祝福する為でした。アブラハムは如何に謙りつつ、切にソドムとゴモラが救われることを祈ったでしょう。

神様がアブラハムのところに来られたのは、アブラハムを祝福される為でしたが、同時にソドムとゴモラをさばく目的でもありました。私たちの信仰は聖書によるものです。聖書において神様は何度も何度も救い、何度も何度も恵みを与えられましたが、同時に、何度も何度も正しくさばかれるということも記されています。神様のさばきは大いに畏れるべきものであります。
 
神様は姿形をもたないお方ですが、私たち人間は神様の形が与えられているので、同じように神様の正しさや慈しみ深い心を持ち合わせているはずです。しかし、人間の正しさと慈愛は分けて考えられています。私たちはしばしば人に対して、特に嫌いな人に対して正しさを示したりします。しかし、自分の愛する人、気に入った人に対しては慈愛の心を示すのではないでしょうか。このように、私たちの正義や慈愛は中途半端なものなのですが、神様は、ご自分がなさる全てのことにおいて正しさと慈愛があります。
 
神様はこの時、天から火を下し、極めて重い罪を犯したソドムとゴモラの町を滅ぼそうとしました。しかし、このようにやがて行われようとしている災いにおいても、神様の愛を見出すことができます。アブラハムは主の御前に立ちはだかり、滅ぼされるべきソドムとゴモラの為に祈っていました。これこそが福音伝道の使命です。私たちは福音を伝える相手を選んではなりません。
 
パウロはユダヤ人たちに福音伝道をする為に、ユダヤ人の会堂に入って行きましたが、毎回打たれ、追い払われました。しかし、それでもユダヤ人のところへ入って行くのは、福音伝道の使命を託されていたからです。
 
アブラハムは何度も何度もしつこく祈りましたが、神様はご自分の子どもたちがこのように祈ることを望んでおられます。特に、他人の救いの為にとりなす祈りに対しては、神様の目の前に立ちはだかることさえお許しになり、忍耐深く聞いてくださるのです。
 
イエス・キリストはソドムとゴモラの中にいる人と同じ姿である私たちを救う為に世に来られました。やがて天から大きな火が下ってきますが、イエス様は私たちの為にとりなしの祈りを捧げて下さっています。そして、もう一度、この町に帰って来られます。イエス様の言葉を信じ、この町から離れようとするのであれば必ず救われます。しかし、ここにとどまろうとするのであれば、必ず滅びます。全ての人がイエス・キリストを信じる者でありますように。