「サウロのイエスとの出会い」鈴木啓明宣教師–2022.05.15


「サウロのイエスとの出会い」
使徒の働き9:1-22;鈴木啓明宣教師

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 サウロは、イエス・キリストを救い主として信じるユダヤ人達を迫害していました(使徒8:3)。主の弟子たちは、エルサレムから逃げ、各地に散らされました。ダマスコはエルサレムから北へ歩いて6日の距離にあります。サウロは主の弟子たちを迫害するために、ダマスコに向かっている途中でした。サウロが主の弟子たちを迫害していたのは、彼らはイエス様の復活を信じていたからです。主の弟子たちは、イエス様は神様の子だと信じていました。ユダヤ人は聖書の神様以外を崇めてはいけないのに、罪人の証である十字架の死をとげたイエス様を崇めていました。復活を信じていないサウロは、ダマスコの近くで天からの声を聞きました。イエス様がサウロに語りかけたのです。サウロの迫害の対象は、ユダヤ人の主の弟子たちです。主の弟子たちを迫害することは、イエス様を迫害することになります。なぜなら、弟子たちは主が愛する家族だからです。私達も友人や家族から言葉における迫害を受けているかもしれません。そうであるならば、その人達はイエス様を迫害しているのです。私たちが迫害されるときに、イエス様が共にいて迫害を耐え忍んでくださっています。イエス様はサウロの名を呼びました。イエス様はご自分を迫害する者であっても、一人の人として取り扱ってくださいます。サウロはイエス様に「主よ。あなたはどなたですか。」と尋ね、「主よ。わたしはどうしたらよいのでしょうか。」(使徒22:10)とも言っています。イエス様は命令しないで待っていてくださり、なぜ私を迫害するのか、と相手の意見を聞くお方です。もちろんイエス様は理由をご存知です。しかし、あえてサウロに理由を尋ねました。イエス様は迫害する者であるサウロを、一人の人間として認めていてくださっているのです。

 アナニヤが遣わされたのは、サウロの目を開くためであり、サウロが聖霊に満たされるためです。これらのことはイエス様にもできることですが、わざわざアナニヤを遣わしました。サウロに語りかけるのは神様です。しかし、イエス様を信じたサウロを受け入れるのはクリスチャンの役割です。同じように、新しいクリスチャンを受け入れるのは教会の役割です。教会は神の家族です。兄弟サウロと同じ父を持つのが教会です。サウロはもともとアナニヤたちを迫害していました。しかし、サウロはダマスコへ向かう途中でイエス様を信じ、信仰という主の弟子たちとの共通点を持つようになりました。家族と同じ信仰を持つならば、例え趣味や性格が異なっても共に祝福された生活を送ることができます。新しいクリスチャンを私たちは受け入れなくてはいけません。聖書は、新しいクリスチャンたちに「受け入れられるようになれ」とは言っていません。私たちが受け入れるのです。友達は選べても、家族と教会は選べません。迫害者サウロを神様が受け入れました。アナニヤはサウロが危険人物であることを知っていました。それでも、自分からサウロにアプローチしました。私たちも新しい人達に自らアプローチすべきです。目が開かれる前のサウロは自分に置かれたアナニヤの手に温かみを感じたことでしょう。そして、サウロはおそらくアナニヤと一緒に食事をしたことでしょう(使徒9:19)。なぜなら彼らは兄弟だからです。

 主を信じたサウロは、今度は自分が迫害のターゲットになることをよく分かっていました。実際サウロは迫害されてローマで殉教したと伝えられています。イエス様は死から復活し、サウロはよみがえったイエス様と会いました。アナニヤにもよみがえったイエス様が語りかけたからこそ、危険人物サウロに手をおいて祈ることができました。

 もしあなたが今主を信じたならば、よみがえったイエス様を受け入れる祈りをし、教会の兄弟姉妹となりましょう。