「献金の真髄」林原億牧師–2022.05.01


「献金の真髄」
マラキ書3:6-12;林原億牧師

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献金は聖書に記されている真理です。主の家は神様が建てたものであり、神様は私達に豊かに備えて下さっています。ではなぜ献金をしなければならないのでしょうか。それは神様が私達を用いて下さるからです。12節にあるように、私達は献金をすることによって喜びの人となるのです。
旧約聖書最後の書であるマラキ書の時代から、イエス様が誕生するまでの約400年間、神様は人に語り掛けることがありませんでした。原因はイスラエル人が心から神様を信じていなかったからです。神様はイスラエル人をエジプトから救い出し、カナンの地を与え主の言葉を守るよう命じました。しかし彼らは神様から離れ偶像崇拝をしていたため、神様は彼らを裁きの虜として国外に追いやりました。それでも神様は慈愛をもって、70年後イスラエル人をエルサレムに帰れるよう導きました。エズラを使って宗教改革を行い、ネヘミヤは政策や献金の制度を整えましたが、時がたつとイスラエル人は再び堕落した生活に戻り、献金をやめてしまいました。聖書を見ると神様は繰り返し厳しい言葉と方法でイスラエルの民に警告を与えています。心から奉仕できなければ私達の命は変えられません。遜り心から真理を守ろうと願う時、それこそが本当の奉仕といえます。このような奉仕を通して、私達の命は幸いに預かる命となるのです。

1.献金とは神に捧げるものである(マラキ書 3:6-7)
本当の献金とは、金額の大きさではありません。神様に対する信仰と認識の問題です。近代の歴史の発展は科学の歴史と言えます。デカルトは「世の中には主体と客観体がある」という概念を提唱しました。多くの科学的発明はこの考え方が基盤になっており、人間は自己拡張を重ね自分を主体、神様を客観体として見るようになりました。我々が聖書を読む時も同じ問題に陥ることがあります。しかし本当は私達が客観体であり、神様が聖書を通して私達に語り掛けているのです。聖書の解釈を理解した時、それは神様が望んで下さったからだと感謝しなければなりません。私達の信仰がこのように変化した時、聖書の研究は理性によるものではなく、命の変化の始まりとなります。そして律法が私達の命の道となり、人生を変えて下さいます。献金も、神様が命じているからするのではなく、神様に従って大切なことを実行しているのだと命の道が教えて下さるのです。

2.献金は神様の命令である(マラキ書 3:8-9)
供え物の本当の目的はレビ人を養うためでした。イスラエルの民がこれをやめてしまったことで、多くのレビ人が生活に苦しみました。奉納物を捧げなければ、宮のすべての運営が困難になってしまいます。今日の教会の奉仕も同じです。神様に捧げるべきものを捧げなければ、教会が正常に運営できなくなり、すべての伝道の働きが影響を受け、教会の成長も止まってしまいます。そのため献金と教会の奉仕にはとても密接な関係があるのです。私達はよく自分が捧げる金額を気にしますが、神様からどれだけ与えられているかに目を向けられていません。どれだけの献金をしていても、感謝を忘れてはなりません。感謝の中で少しずつ神様の恵みを経験していくでしょう。

3.献金は神様からの祝福である(マラキ書 3:10-12)
神様の前に立ち返り納めるべき十分の一を捧げる時、神様は私達を祝福し、さらに増して豊かにして下さいます。それは私達がますます神様に奉仕できるようにするためです。心から奉仕するなら、神様は私達の想像を超えるほどまでに用いて下さいます。たとえ100円であっても、心からの献金であれば神様は大いに用いて多くの人に祝福を与えて下さるのです。私達が献金から学ぶことは“神様を恐れる人、人を心に留めることができる人になること”です。本当に神様を恐れているなら、人を愛しているなら、それこそが最も幸いな人です。私達が皆幸いな人となれるよう、主が助けて下さいますように。