「サラがあなたにイサクを産む」 王鋭伝道師–2022.04.17


「サラがあなたにイサクを産む」
創世記17:15-21;王鋭伝道師

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 今主の復活を証しできる私は、イースターのことも知らなかった以前の私とは別の人です。キリストと共に死んで、共に復活したからです。新しく作られた人は、復活した人です。これは神様のみができる大いなる御業です。いのちの大いなる御業は、絶望の中でも望みがあります。神様は不可能を可能にする神様です。今日の聖書箇所には復活の望み、いのちが変えられる望みについて記されています。神様にはいのちを与える力があり、それには姉妹たちの働きが関わっています。神様のご計画は、アブラハムを信仰の父、万国の父、万国の祝福にすることでした。約束の子は空の星のように増えると約束されました。これは偉大なる祝福ですが、アブラハムの妻はすでに90歳で、今から子供を産むことは絶望的でした。しかし、神様はサラがあなたにイサクを産むと約束し、あなたに与える約束は、あなたの妻を通して与えると言われたのです。当時は今よりも男尊女卑で、女性が男性から離れてひとりで生きていくことは非常に困難でした。神様にとって人間を作ることは容易いことです。アダムは神様が直接作った人で、彼には母がいません。アダムを作る力のある神様は、何十億人という人を作ることも可能です。しかし、神様は男と女を作られました。「神は人を一体に造られたのではないか。彼には、霊の残りがある。その一体は人は何を求めるのか。神の子孫ではないか。あなたがたは、あなたがたの霊に注意せよ。あなたの若い時の妻を裏切ってはならない。(マラキ2:15)」アダム自身が子を産むことができないのは、神様のご計画です。アブラハムの子孫はサラ(王女の意)から産まれるのです。イエス様は女から産まれてことばが肉となる必要はありませんでした。このようにいのちには姉妹が関わっています。神様は女性を忘れていません。主権を持たれる神様のみが、サラに子を産ませることができます。神様が不可能を可能にし、絶望を希望に変えてくださいます。しかし、それを聞いたアブラハムは笑いました。不信仰の笑いです。妾が産んだ子、当時10代になっていたイシュマエルが生きながらえますようにと言いました。アブラハムは心のなかで、神様の御言葉を信じていませんでした。信仰の父アブラハムの不信仰さについて、聖書にたくさんの記載があります。当時のアブラハムはまだ信仰が弱かったのです。イシュマエルは人のやり方で生まれた子供です。信仰の父アブラハムはイシュマエルのことしか思いつかず、妻のサラを売ったりする人の弱さを持っていました。信仰の英雄はいません。誰しもが弱いのです。イエス様の弟子たちは、イエス様が捉えられたときに皆逃げてしまいました。それまで多くの人たちがイエス様に従ったのは、イシュマエルを望んでいたからです。地上の大いなる国やローマ帝国を打ち破る強い王を待ち望んでいました。イエス様の弱さが認められたとき、弟子たちは絶望しました。それは自分たちの望んでいた姿ではなかったからです。旧約のメシヤの預言を暗記し、イエス様の奇蹟を自分の目でみて、3年も生活をともにして地上にはイエス様の国がないという教えを聞いていたのに、弟子たちはアブラハムと同じようにイシュマエルが神様の御前で生きながらえることを期待していました。
 妻を売る弱いアブラハムが万国の父と呼ばれ、逃げた弟子たちが使徒になれたのは、いのちの大いなる御業を証ししたからです。神様が不可能を可能にしたとき、後にイサクを神様にささげるまでにアブラハムは変えられました。自らいのちの大いなる力を経験したからアブラハムは、イサクをささげることができたのです。これは、完全な信仰です。イサクをささげることはイサクを殺すことですが、アブラハムは神様を疑いませんでした。「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。それで彼は、死者の中からイサクを取り戻したのです。これは型です。(ヘブル11:19)」アブラハムの時代には復活はありませんでしたが、心の中に復活の望みを持っていました。弟子たちはイエス様の復活を目の当たりにして変えられました。今まさに復活のいのちが与えられています。罪に死んだ人が、イエス様のうちにおいて、復活のいのちを与えられました。復活は将来の望みだけではありません。将来のものだけならば、アブラハムのように絶望してしまいます。今日私たちがイエス様のうちにあるならば、今復活の力を味わっているのです。復活の日は2000年前のことでも将来のことだけでもなく、今経験できることです。その核心はいのちです。よみがえりの力、いのちの源の神様、まことの生ける神様は、天の御父の右に座し、聖霊となって私達とともにいてくださいます。