「蛇と鳩」上辻洋平牧師–2022.04.10


「蛇と鳩」
マタイの福音書10:16-25;上辻洋平牧師

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 クリスチャンの生活は伝道することであり、伝道はクリスチャンの使命です。私たちは多くの学びをし、
よりよく伝道する必要があります。伝道することにより迫害を受けることもあります。しかし、恐れて伝道を止めるのではなく、主により頼み、どのように対処したら良いかを学ばなければなりません。あらゆることに挑戦し、学ぶことで、よりさとく、よりすなおになることができます。では、どのようなことを学ぶべきでしょうか。
 
1.私たちは蛇のようにさとくある必要がある
 
福音を伝えるということは、羊を狼のところに送るようなものであると、イエス様は仰います。初代教会の時代や、或いは現代でも、国や地域によっては命を脅かされる危険があります。また、文化的な背景において排斥されることもあります。蛇は一般的にも聖書的にも邪悪や狡猾の代名詞であります。しかし、ここに書かれている蛇はイエス様の十字架を表しているものです。「蛇のようにさとく」とは、如何にしてこの世に染まらずに生きるかということを教えています。蛇は静かで忍耐強い習性がありますが、獲物が近づくと一撃で仕留めます。福音を宣べ伝える時も、忍耐と静かに待ち続けること、伝道の機会を見計らうことが必要です。
 
2.鳩のようにすなおでありなさいとはどういうことか
 
鳩には平和、すなお、従順、人を傷つけないといった意味があります。聖書は私たちに謙りなさいと教えておられますが、これらは、私たちが目指すべき姿であります。聖書において、鳩はささげ物としても書かれています。善にはさとく、悪にはうとく、自分自身を神に受け入れられる聖い生きたささげ物として仕えることは、神に喜ばれることです。また、人とかかわる上でも、鳩のようにすなおであることはとても大切なことです。誠実で嘘偽りなく、柔和で謙ったもの、このような霊的いのちこそが鳩のようにすなおであるということです。
 
3.手放して神様のみわざを待つ
 
天国への道を歩むとき、迫害に遭うことは珍しいことではありません。信仰の道を歩むことは順風満帆ではありません。ですから、私たちの状況をすべて神様に委ね、神様が語ってくださるのを待つのです。私たちは祈りやデボーションを通して神様の知恵が何かを知ることができます。人生には困難や迫害がありますが、最後まで耐え忍ぶものは必ず救われると、神様は約束してくださっています。
 
まとめ
蛇のようにさとくとは、人を見抜いていても臨機応変に善をもって対応し、言って良いことと良くないことを区別できることです。鳩のようにすなおであるならば、愛に溢れるイエス様のいのちでもって人を導くことができます。つまり、私たちのいのちが成長することによって多くの人が教会に導かれるのです。これは、いのちがいのちに影響を及ぼす原理です。