「強く雄々しく主にあって進もう」林原億牧師–2022.04.03


「強く雄々しく主にあって進もう」
ヨシュア記1:1-11;林原億牧師

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 イスラエルの民を導いていたモーセは死に、神は後継者としてヨシュアを選びました。いい加減な事ではありません。神はヨシュアに雄々しくありなさいと言いました。イスラエルを導きカナンの地に入らなければならないからです。

1節、主の僕モーセ。僕とは主人の思う通りに働きます。このように神と素晴らし関係をもっていたモーセが死に、神がヨシュアに告げて仰せられました。神が御心を私たちに告げられるとき、私たちには従うか拒否するか選ぶ道は二つしかありません。しかし私たちが奉仕をするかしないかを決めるのでありません。神が私たちを選んでくださったならば、私たちは拒むことが出来ません。神が選んでくださらなかったら私たちは奉仕することができません。神は主人であって私たちは僕です。奉仕は僕の立場からするものではなく主人の御心に従うものです。

2-3節、すべての民と一緒にヨルダン川を渡ります。誰一人として脱落する人はいません。足の裏で踏むところ、全ての地を神はイスラエルの民に与えるのです。私たちは一つの教会です。一緒に奉仕します。一人いとして欠けてはなりません。信仰において共に成長し奉仕し神の祝福を得るのです。4節、カナンの地を神がイスラエルに与えました。これは神の恵みです。しかし神は正しい方です。ですからイスラエルの民がカナンの地で罪を犯し続けたならカナンの地に住み続けることができません。後に神の御言葉を守り行わなかったので他の国にとられました。ヨシュアにとって重要な任務はカナンの地に入るだけではなく神のみ言葉をイスラエルの民に教えることです。

6-7節、ヨシュアにはモーセの律法を徹底的にイスラエルの民に教える任務があります。神がカナンの地をイスラエルに与えるのはイスラエルの民に器になり、イスラエルを通して神の祝福はどういうものかを示してほしいからです。神が人と契約があります。神が人に御言葉を理解し守り行うことを願っておられます。そうすれば神が祝福してくださって我々と共にいてくださいます。8節、立法の書をあなたの口から離さず昼も夜もそれを口ずさまなければならない。私たちが聖書を読まなければ神の御心が分かりません。神と関係を築くために聖書を読む必要があります。9節、イスラエルの民が御言葉を守り行うならば彼らが行く何処でも共にいてくださいます。神はヨシュアに恐れるなと仰っています。ヨシュアが恐れていたのはカナン人ではなくイスラエルの民です。モーセもイスラエルの民を導くのに頭を痛めていました。神がいなかったらヨシュアはどうしたら良いのでしょうか。神はヨシュアに御言葉を守り行うことを願っています。そうすれば神はヨシュアと共にいてくださいます。

私たちは主の御言葉に従い心を備え勇気をもって前に進むべきです。11節、神の導きがあっても私たちが備えていなければ神が決めた目的地にたどり着くことができません。ですから霊的な準備が必要です。私たちが日々準備しているならば、神の招きが来た時、用いられます。イスラエルの民は神の恵みによってカナンに入りました。それ以上にカナンに住み続けることができるということは大切です。神の御言葉に従い、御言葉を守り、常に備えることが大切です。神の聖書に根を下ろし、神の導きにより真面目に奉仕をしなければなりません。神は私たちと共にいてくださいます。又神が与えてくださることは私たちが思っている以上であることがわかります。