「強くされたヨシュア」小山田格牧師–2022.02.27


「強くされたヨシュア」
ヨシュア記1:5-9;小山田格牧師

錄音

錄影


イスラエル人はエジプトで奴隷生活を送っていたが、神様がモーセをリーダーとして立て、イスラエル人をエジプトから救い出した。そして、目の前のヨルダン川さえ渡れば、約束の地カナンに入れる状況にあった。しかし、カナンを目の前にして、神様はモーセに代わり、ヨシュアをリーダーとして立てた。当然、ヨシュアの心には恐れがあった。そのようなヨシュアに対し、神様は「モーセとともにいたように、あなたとともにいる」という約束を与え、励まされた。

更に、神様は何度もヨシュアに対し「強くあれ。雄々しくあれ」と語っている。これは大きな励ましであると同時に、このような箇所を見て、神様は戦争を良しとされている、と誤解する人もいる。歴史上、イスラエル人が起こした戦争を理由に、戦争が正当化されたことは何度もあった。しかし、聖書を良く読むと、このような考えは間違っていることが分かる。

まず、イスラエル人がカナンに入るために戦争を起こしたのは、明確に神様のお許しがあったからである。創世記15章では、イスラエル人がエジプトで400年間奴隷生活を送り、その後に、エモリ人の咎が満ちた時に、カナンの地が与えられる、という預言があった。それは将来、救い主であるイエス様がお生まれになるためであった。また、エモリ人はカナンの地の人々の代表として描かれているが、彼らは神様から離れ、非常に堕落した生活を送っていたため、神様はイスラエル人を用いて、彼らを裁かれたのであった。この論理はイスラエル人にも当てはまる。実際、カナンの地を得たイスラエル人も後に堕落したため、神様はバビロンや他の国を用いてイスラエル人を裁かれた。

逆に、神様のお許しのない場合、戦争を決して起こしてはならない。例えば、カナンの地は資源的に恵まれた土地であるため、イスラエル人に対して、様々な国が戦いを挑んできた。イスラエル人はあまり先進的な武器を持っているわけではないため、かなり不利な状況ではあった。しかし、イスラエル人が神様により頼む時、敵国はいつも敗退した。逆にイスラエル人が自分たちの勢力を誇ったり、敵国を侵略しようとした時、彼らはいつも負けたことが聖書に書かれている。

更に、イエス様がこの世にこられたのは、戦争を起こすためではなく、平和をもたらすためであることから、なおさら勝手に戦争を起こしてはならない。イエス様が救い主として来られた時、ローマ帝国に反逆したり、謀反を企てることはなかった。そして、罪のない方であるのにも関わらず、人間の罪のために苦しまれ、身代わりとなられた。即ち、イスラエル人が戦争をしたことを理由に、戦争を仕掛けるのは決して正当化できないことである。

聖書を見ると、なぜ人間が戦争を起こすのかが書かれてある。ヤコブ4章には「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです」とある。即ち、戦争は人間の欲望が引き金となって起こされるのである。

世界には引き続き試練が与えられるだろう。国と国の戦争のみならず、人間の間で戦いが起こされる。その問題は私たちの心にある。私たちは罪を認め、御前に来て、お祈りする必要がある。そんな時、ヨシュアを励まされたように、私たちに平安が与えられる。