「あなたの名はもうアブラムと呼んではならない」王鋭傳道–2022.02.06


「あなたの名はもうアブラムと呼んではならない」
創世記17:1-8;王鋭傳道

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神がアブラムを75歳で召し出しカナンの地に導きました15章で神は彼に土地と子孫を与えるという契約を結びました。しかしアブラムはまだ土地を手に入れていません。子供は妾の子のイシュマエルだけです。サライに望みがないように思われます。アブラムは99歳になり自分の人生の定めが見えているように思います。しかし神はアブラムのことを知っておられます。彼を探し求め支えようとしておられます。17章で神はもう一度アブラムと契約を結びます。アブラムは弱い者です。しかし神は真実な方です。神はかつてアブラムと結んだ血の契約の義務を自分で果たそうとしてくださいます。契約を固いものにしてくださったのです。

 17章の契約には2つの特徴があります。一つは割礼でもう一つは神がアブラムに新しい名前を与えたことです。アブラムは「貴い父親」という意味です。彼の父親の希望が込められていたかもしれません。神がアブラムに与えた名前は「アブラハム」です。意味は「多くの人の父親、多くに国の父親」です。新しい名前に込められた意味は人間の父親の期待ではなく神の約束です。天のお父様の約束は空しくなることはありません。

 新しい名前は新しい身分を表します。アブラハムと神の関係が変わりました。他人ではありません。神の家の人です。彼には多くの子孫が与えられます。彼が寄留者として住んでいる土地をすべて与えてくださいます。多くの国民の父としてくださいます。この祝福はアブラハムに与えられ彼の子孫にも与えらます。この契約は永遠に至るまで続きます。

 祝福には責任が伴います。神はアブラハムに私の前であゆみ完全なものになりなさいと仰いました。アブラハムはその日から完全なものになったのでしょうか。彼には弱さがありました。しかし神はアブラハムの前を歩き彼を守り導いてくださいます。神の義の内を歩むように守ってくださいます。神と共に歩むことによってより完全なものに近づいていきます。アブラハムはイサクを捧げるまで神に従いました。神はそれを彼の義と認めてくださいました。信仰によって義と認められたのです。私たちが救われるのはただ信仰ただ恵みによるのです。

 神はアブラハムに与えた契約は祝福であり義務です。神から与えられた祝福はアブラハムと自分の子孫だけではなく多くの国民の祝福になければなりません。神から受けた祝福は流れ出ていなかなければなりません。福音の使命です。又神は契約のしるしとしてアブラハムに割礼を与えました。アブラハムと彼の男性の子孫は全員割礼を受けなければなりません。割礼はアブラムと彼の子孫の肉体の特徴であって、ユダヤ人は自分たちがアブラハムの子孫で神から選ばれた民で清い民であることが分かります。「割礼の無い者」とは、割礼を持つ人たちが無割礼の人たちに呼ぶいい方です。それは呪いを表しています。絶望を表しています。神の契約と関係のない者を表しています。

 しかし主に感謝します。キリストの十字架と砕かれた体によってもはや私たちは「割礼の無い者」とは言われません。エペソ2:19、私たちは異邦人ではありません。神の国の民です。私たちは貴い祭祀です。これは私たちがキリストの内にある新しい名前であって身分です。今キリストが私の内にあって生きておられます。キリストゆえにアブラハムに与えられた祝福が私たちの上にあります。神の導きによって私たちが多くの国民の父となります。福音を地の果てまで伝えます。私たちはキリストに属する者です。私たちが信仰によってアブラハムの子孫になります。