「主といっしょに舟に乗る」上辻洋平牧師—-2021.11.14


「主といっしょに舟に乗る」
マタイの福音書8:23-34;上辻洋平牧師

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人は不当な待遇を受けたと感じたり、傷を負った時、心を煩わせます。相手に仕返しをすることもあるでしょう。しかし、時間が過ぎ去り、歳を重ねると、そのようなことを行うことを哀れに思うようになります。聖書には「忍耐強くあれ」とあります。信仰の顕れというのは、主を待ち望む者の上に顕れます。忍耐強く主を待ち望み、主がすべてのことを司ることを待ち望むのであれば、神様が自分の期待に沿わなかったという失望はありません。イエス様は、この舟に乗って起こったことを通して、弟子たちに何を教えたのでしょう。

1.イエス様が眠っておられた 
イエス様はガリラヤ湖付近で伝道することが多くありました。この時、イエス様と弟子たちは舟に乗ってもう一つの場所へ渡ろうとしていたのですが、大暴風が起こり、弟子たちは主に助けを求めました。今日、私たちクリスチャンは時にかなった助けを主に求めます。神の御子であるイエス・キリストならば、私たちを助けられるでしょう。しかし、期待に沿わない結果となった時、多くの人は失望してしまうのです。私たちは神様を偶像化し、役に立たないのであれば新しい偶像を見つけます。しかし、神様は生ける人の神であり、人の心を探る神であります。

弟子たちは命の危険にさらされていましたが、イエス様は眠っていました。それは、大暴風が弟子たちに危害を加えないことをご存知だったからです。この大暴風でさえ、主が造られたものです。如何なる暴風であってもイエス様の睡眠を妨げることは出来ません。ですから、主と一緒に舟に乗るのであれば、転覆することがないのです。問題に直面した時、暫くの時間を通して忍耐を働かせ、問題を乗り越えて振り返って見た時、これこそが神様の導きであることに気付かされます。命は神様が司っています。私たちに信仰があるのであれば、生きるにしても死ぬにしてもイエス様の愛から引き離されることはありません。
 
2.イエス様が奇跡を行うことで神の御子と証明された
イエス様は異邦人の地へ行き、悪霊に憑かれた2人の人から悪霊を取り除かれました。私たちは悪霊を恐れていますが、悪霊が恐れているのは私たちの心の中に住まわれるイエス様です。この真理を理解しているのであれば、悪霊に直面した時、恐れることはありません。この2人には二千ほどの悪霊が憑いていましたが、イエス様が声を発するだけで、すべての悪霊がイエス様に従ったと聖書に書かれています。大暴風が大なぎになった奇跡、悪霊を追い出した奇跡、これらを通して私たちが信じる神様は信頼に値する神であることが理解できます。ですから、信仰を持ってイエス様とともに舟に乗るのであれば、大暴風が起こっても信仰を堅く保つことができます。聖書の真理を知り、聖書のことばを蓄え、問題に直面した時、聖書のことばが折にかなった助けとなるのであれば、いつでも神様により頼むことが出来ます。私たちが神様に近づこうとするならば、神様も私たちに近づいて下さいます。
 
3.信仰のない結末
イエス様が地上で働いておられた時、ユダヤ人だけではなく、ガダラ人にも救いをもたらそうとしました。イエス様は悪霊に憑かれた2人を助け出し、悪霊が豚の中に入り、豚の群れが海に飛び込んだのですが、このことが村の人に多くの損失を与え、彼らは多くの財貨を失いました。彼らは怒りを表したものの、手に負えなかった悪霊に憑かれた2人をイエス様が救い出したことは責められない事実です。ですから、イエス様にはこの地方を去るようお願いしました。彼らは世の中のことに目を向けたので、本当の救いに与る機会を失ってしまったのです。

  現代社会においては、信仰よりも経済的なものが大切だという考え方が蔓延しているので、人の心はイエス様を追い出そうとするのです。ですから、神様が人を救わないのではなく、人が神様に救われたくないのです。私たちは世を愛するのではなく、神様を愛さなければなりません。世と世のすべてにあることは過ぎ去り、御こころを行うものがながらえます。隣人を愛し、積極的に福音を伝え、より多くの人が救われて、永遠に神様の素晴らしさに与ることを願います。
 
ーまとめー
  主と一緒に舟に乗るのであれば転覆することがありません。主は私たちの心に住まわれ、いつも私たちとともにおられます。私たちは信仰の薄いものですが、主が真の神であることを信じなければなりません。神様こそ、私たちを造り変えて下さり、外的な環境も変えて下さり、助けて下さいます。