「アブラムよ,恐れるな」王鋭伝道師–2021.11.07


「アブラムよ,恐れるな」
創世記15:1-7;王鋭伝道師

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14章でアブラムは名声も富も手に入れ世俗的に見れば人生の頂点に達していました。アブラハムをカナンの地に導いた神は「あなたの子孫に、この地を与える」と仰いました(12章)。しかしここではアブラムは子がいないことで恐れを抱いていました(15:2)。神自らアブラムに語り掛けました。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは大きい」(15:1)。

神の人間への最初の祝福は「生めよ。ふえよ、地を満たせ」です(創1:28)。神は私たちが夫婦として結ばれ、子を生むことを喜んでおられます。これは神が人間に与えた祝福であって命令です。可能であれば子供を生み育てましょう。

結婚相手が見つからない人や子供が欲しくてもできない夫婦がいます。自分は呪われているのではないかと思います。自分の助けとなる人がなく、やがて見捨てられて孤独になるのがアブラムの恐れだと思います。兄弟姉妹の中のもこれに似た恐れを持っている人がいでしょう。しかし諦めてはいけません。アブラムが神を信じました。彼には「子孫が星の様に多くなる」と神のみ言葉があり、神はその通りに祝福されました。私たちは神を信じ仰ぎ求めなければなりません。

今はイエス様の新しい時代です。神は敬虔な僕を求めています。神が神の僕を独身でいさせるのは、子供が与えられないのは、彼らが真心をもって神の教会に仕えさせるためです。そのような兄弟姉妹には神の使命があるのかもしれません。イエス様が地上におられたときは独身で肉体における子孫はいませんでした。旧約では多くの子孫を持ちそれが代々続くことに祝福がありました。旧約の中には永遠という概念がありません。新約のテーマは永遠です。旧約で子孫が代々続いていくという概念は新約の永遠を予兆しています。旧約における肉の子孫の祝福が新約における霊的子孫に対応しています。イザヤ53:10、には「彼は末長く子孫を見ることができる」とありますがイエス様には肉における子はいませんでした。しかしクリスチャンはイエス様の子です。イエス様は永遠の神であって主です。イザヤ54:1-3、「あなたの子孫は、国々を所有とし」この約束は神がアブラムに与えた約束に似ています。アブラムの約束はアブラムが肉において実現されました。新約時代はこの肉における子がいなくても霊的な子孫が空の星のように多くなります。子がいなくても教会に仕えることによって大きな喜びに満ちていた人がいます。彼らは霊的な子供に囲まれています。子供がいる方でも人生の最後に周りにいるのは霊的な子供です。

本当の保証は主、我が神です。アブラムは自分に子供がいないことでつぶやいていました。しかしアブラムは、最終的には彼の唯一の息子を捧げました。神の言葉を信じていたからです。「アブラムよ、恐れるな、私はあなたの盾である。」すべての人の盾は神です。子供がいる方は神に祝福を受けています。子供がいな方も神の大きな祝福を受けています。天国では親子夫婦という関係はありません。私たちはみな兄弟姉妹です。これは永遠に続くものです。