「あすのための心配は無用です」上辻洋平牧師-2021.07.11


「あすのための心配は無用です」
マタイの福音書6:25-34;上辻洋平牧師

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心配することや思い悩むことは人間の性ですが、それが過ぎると生活や気持ち、更には霊的いのちにも影響を及ぼします。思い煩い事は年齢や経歴を重ねるごとに複雑になります。しかし、それによって信仰が磨かれることもあるのではないでしょうか。私たちはクリスチャンとしてどのように主により頼んで生活を営んでいくかを学ぶ必要があります。
 
1.主はすべてを治めておられる
 私たちはどのような環境におかれても数え切れないほどの悩みがあります。そしてその殆どが『衣・食・住』に関するものであると聖書は教えています。しかし、本当に心配しなければならないことは、私たちが神様の御こころを聞こうとし、神様に従っているか、神様に栄光をお返ししているか、ではないでしょうか。聖書は「神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、私たちに必要なものはすべて与えられます。」と教えています。神様は最も良いものを与えてくださいますが、それが必ずしも私たちの願いと一致しているとは限りません。私たちにとって最も良いものとは、目に見えるものであり、地上に宝をつむことですが、神様は「天に宝をつみなさい」と仰り、私たちがそれを出来るようにすることが神様のベストなのです。神様はすべての物事を創造されました。それは、私たちが神様の能力を知るための啓示であり、私たちの益となるためです。私たちは神様の最も素晴らしい創造物です。王様が身に付けている衣服でさえも、神様が創造された花の一つにも優らないのです。神様は私たちをこれほどまでに尊ばれるのですから、明日のために心配する必要はありません。
 
 私たちは、御ことばに従い、神様により頼むことを学ぶ必要があります。教会が成長の最中にあるこの時、コロナウィルス感染拡大によって集まることができなくなった困難があるように、私たちがいくら悩み、考え、計画しても、御思いは私たちの思いよりも高いところにあるのですから、理解出来ないこともたくさんあります。しかし、主の内にあって幸いな者となるためには、この学びをする必要があるのです。
 
2.神の国とその義とを第一に求める
 神様は生きておられるお方であるので、私たちが今何を必要としているかご存知です。私たちも、人生に神様がおられることを知っているのであれば、生活のために悩むことがなくなります。私たちには永遠の望みがあります。だからこそ、神の国とその義をまず第一に求めなさいと仰っているのです。私たちが神様の御前に平伏し、謙って弱さを認め、主により頼むのであれば、神様は大能を示してくださいます。明日のために心配しない人生を送りたいのであれば、神様のために生きることを学ぶ必要があります。私たちは主の内にあって満ち足りる者、富むべき者です。
 
3.思い煩いを明日に持ち越さない
 私たちが日々の心配を積み重ねてしまうのであれば、いつの日か病いに罹ったり、自分を傷つけたりしてしまうかもしれません。ですから、神様の御前に祈り、思い煩いを明け渡す必要があります。信仰とは、心から御ことばを信じ、受け入れることです。
 
まとめ
①思い煩うことがあれば、神様がすべてを治めておられるということをリマインドする
②神様はすべての人の未来を司るお方であるので、まだ見ぬ未来のことまで心配し過ぎない
③労苦はその日その日に十分であるという心構えを磨く