2022年受難節の特別集会「十字架につけられたイエス」林原億牧師–2023.04.07


「十字架につけられたイエス」
マルコの福音書15:24-39;林原億牧師

錄影

https://youtube.com/live/dUY5qgkowJU

イースターはクリスチャンの信仰にとって喜ばしいことです。なぜならば、イエス様の復活こそがクリスチャンとしての土台を築いたからです。当時、主イエス・キリストの復活に与った兄弟姉妹たちは、初代教会における信仰を固いものとして建て上げ、主イエス・キリストの復活の事実を世界中の様々な場所に宣べ伝えました。クリスチャンの中で最も偉大な宣教師であるパウロは、当初はキリスト教を迫害していましたが、御霊に照らされ、イエス・キリストは確かに復活されたという事実を裏付けることとなったのです。もし、イエス・キリストが復活して彼らの前に姿を現さなかったのであれば、今日のキリスト教は存在しなかったのではないかと思われます。イエス・キリストが復活していないのであれば、私たちがどれほど良い行いをしたとしても、この世においては希望がない者となってしまいます。だからこそイエス・キリストが復活されたことに確信を持たなければなりません。
 
 1.イエス・キリストの復活を耳にするということ
 イエス・キリストが復活された日、二人の女性がイエス・キリストを埋葬しようと墓を訪れましたが、墓は空っぽでした。このことから、聖書を通して浮かび上がる事実として、弟子たちの前に姿を現されたイエス様は幻ではないということがわかります。しかし、その時のイエス様の身体は世に属する身体ではなく、霊的な身体に変えられていました。霊的な身体というのは、時空を遥かに超えた、永遠の国で生きるための身体です。私たちも将来蘇る時には、同じような身体を授けられます。
 
 イエス様の復活は弟子たちのみならず、見張りをしていた番兵たちも与りました。番兵たちからこの奇跡としか言いようがない出来事を聞いた祭司長たちは、番兵たちに賄賂を与えて事実をねじ曲げようとしたのです。しかし、そのような偽装工作は逆にイエス様の復活の事実を裏付けることになります。イエス様は確かに墓から甦られました。
 
 2.イエス様の復活を目の当たりにする
 二人の女性は、イエス様の復活に与ったことを弟子たちに伝えましたが、弟子たちは信じませんでした。しかし、復活したイエス様が弟子たちの前に現れたとき、弟子たちは信じました。イエス様の復活の論点は理解することが難しいですが、復活を認めて初めて成立します。
 
 弟子たちが目の当たりにしたイエス様は、確かに完全に復活したイエス様でした。復活のイエス様にお会いするということは、霊的に成長するプロセスを辿っているということです。イエス様は疑う弟子に対して「見ずに信じる者は幸いである」と言われました。しかし、初代教会の弟子たちは復活のイエス様を目の当たりにすることが必要でした。それによって弟子たちの信仰が強められ、福音伝道に励むことができるからです。今日の私たちはイエス様の復活を目の当たりにしてはいませんが、弟子たちが目の当たりにしたことが書かれている新約聖書を信じて幸いな者となり、それによって、私たちもまた主のために働く者となりました。もし、信じる心がないのであれば、たとえ真実を目の当たりにしたとしても、やはり信じないのです。
 
 3.復活したイエスは「ガリラヤに行くように」と言われた
 イエス様を裏切ったユダを除く11人の弟子たちは、ガリラヤ地方でイエス様にお会いになりました。そして、ここでイエス様の大宣教命令が下され、弟子たちは忠実にこれに従い、これにより多くの弟子たちは異国の地で殉教しました。イエス様の復活は、一方ではイエス様が旧約聖書で預言されていたメシヤであり、神のひとり子であることを証明し、また一方では使徒を通して大宣教命令を下し、その命令が今日の教会にも影響を及ぼしています。大宣教命令は全てのクリスチャンに対して与えられているがゆえに、クリスチャン一人一人が福音伝道に励まなければなりません。イエス様の復活とは、イエス様がメシヤであることを裏付けるのみならず、私たちが伝道に励むことができるよう促しているのです。他の人をイエス様の弟子とするためには、先ず、私たちがイエス様の弟子とならなければなりません。主から与えられた大宣教命令に与るために、福音伝道をする力と能力が与えられるよう教会で自分自身を備えましょう。