「主の祈り」林原億牧師–2022.10.02


「主の祈り」
マタイの福音書6:5-13;林原億牧師

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世の中には様々な変化があります。政治、経済、社会、家庭、私たちは多くの変化に直面しなければなりません。変化の中では多くの困難に直面します。私たちが困難の中で出来ることの一つに「祈り」があります。私たちには多くの必要があります。しかし、自己中心であってはなりません。祈りは私たちの信仰であり、主の御こころを求め、主が示してくださる道に従うことです。
 
1.正しい聖書的な考えに基づく祈り
 ユダヤ人にとって、会堂で聖書を読むことと会衆を代表して祈ることは栄誉なことです。しかし、これらの栄誉を手に入れるために偽善者となってはいけないと、イエス様は教えています。人が見ていようといまいと、私たちは喜んで奉仕をするべきです。ですから、イエス様が教えられたとおり、私たちは自分の部屋に入り、戸を閉めて天におられる私たちの父に祈ります。誰も見ていなくても、喜んで捧げます。
 天におられる父は私たちが祈るよりも先に、私たちの必要をご存知です。ですから、同じことばをただくり返すのではなく、神を信じなさいと、イエス様は教えています。神様はアブラハムの子孫を空の星、海辺の砂のように多く増し加えると約束されました。アブラハムは生涯それを見ることはありませんでしたが、信じたその時からそれを得られたのです。私たちの祈りは信仰をもって神様を信じることを学ぶことです。私たちが神様を信じた瞬間から、神様は私たちの必要を備えてくださっています。
 
2.祈りとは、いと高き神に信頼すること
 私たちが神様を知ることは非常に重要なことです。信仰がなければ神様に頼ることは出来ません。ですから、イエス様は「『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。』と、祈りなさい。」と仰います。すなわち、私たち自身が神様の御前に帰り、完全に神様に捧げるということです。
旧約聖書における神様の概念とは「いと高き神」でありますが、イエス様がこのように仰られてからは、神様に対する概念が「天のお父さま」に変わり、神様に近づくことが出来るようになりました。私たちが神様に近づけは近づくほど、より多くの恵みが与えられます。また、神様のことを深く知り、知ることによって、神様の御こころに従い、神様の御こころに基づいて祈ることも出来るようになります。神様の御こころは素晴らしいものです。今こそ「みこころが天で行われるように地でも行われますように。」と祈る時です。
 
3.祈りとは、謙りって神様の恵みに頼り、一心に従うこと
 現代、私たちは日々の食べ物に困ることがありません。ですから「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」という祈りの意味を理解するのは難しいかもしれません。イエス様の時代、お給料は毎日支払われていました。ですから、なければ飢え死にしてしまいます。この祈りは、私たち自身を完全に神様に任せて、信じ委ねるということです。自分の力に頼るのではありません。
 「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」とは、私たちが神様に対して犯した罪がどれほど重いかということです。神様に対する気持ちが強ければ、人が自分を傷つけたことなど気にならないでしょう。そうでなければ、神様の赦しを見ていないことになります。
 「私たちを試みに会わせないで、悪からお救いください。」〔国と力と栄えは、とこしえにあなたのものだからです。アーメン。〕この祈りは、神様の導きの元で悪に勝利し救われ、神様に栄光をお返しするということです。世の中で成功することも、教会で奉仕が出来ることも神様の恵みです。ですから、栄光を神様にお返しします。