「ペテロが湖の上を歩く」鈴木啓明宣教師–2022.06.19


「ペテロが湖の上を歩く」
マタイの福音書14:22-33;鈴木啓明宣教師

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御言葉は神様の権威があり、力があります。神様が命じるならその通りになります。ペテロには御言葉が必要でした。私たちは神様の御言葉をペテロのように信頼しているでしょうか。

 29節ではペテロだけ水の上を歩いています。まず、ペテロは船から出て、水の上を一歩踏み出しました。水の上を歩くためには船の外に出なくてはいけません。奇蹟を経験するためには船から出る必要があります。水上で安全な場所は、船の中です。最も安全な場所から出ることが、神様の力を経験する秘訣です。安全な場所を離れることで、安全な場所では経験することのできない神様の力を経験します。私が31歳の時、ニュージーランドで神学校に通っていた時、インドに奉仕に行きました。母国語以外で聖書を教えることは難しいうえ、当時ニュージーランドからインドまでのエアチケットはかなりの高額でした。半年間のインド滞在費も自己負担です。インドで聖書を教えると、もっと話を聞きたいという人がたくさんいました。そこでは神様の力が働いていました。私が高価なエアチケットを買って行くという一歩を踏み出したから、自分には教える賜物があることを知ることができました。このように、私たちに対して神様が安全な場所から離れろというかもしれません。

 30節では、ペテロはずっと吹いていた風に怖くなってしまいました。なぜ疑うのか、とイエス様はペテロに言いました。ペテロは御言葉を信じて一歩踏み出しました。しかし、周りの環境を見て恐れました。御言葉以上に周りの現実に集中しすぎると怖くなります。コロナ感染拡大のニュースを見て怖くなった経験のある人もいるでしょう。ニュースより御言葉に集中しなくてはいけません。

 31節でイエス様は手を伸ばしてペテロを救われました。当時のペテロはどんな気持ちだったでしょうか。イエス様は言葉だけでペテロを救うこともできたはずです。しかし、手を伸ばしてペテロをつかんで助けました。ここにイエス様の愛を感じます。イエス様はペテロになぜ疑ったのかと聞きました。嵐はまだ収まっていません。水の上でペテロの信仰は強かったのに、イエス様は「信仰の薄い者」とペテロに対しておっしゃいました。ペテロが船から降りるときに手を貸さなかったのは、御言葉さえあれば水の上も歩けるからです。このように神様の口から出る御言葉によって私たちは生きています。聖書の御言葉をそのまま口にすることは、告白です。聖書には「主よ、助けてください」と記されています。私たちは神様の御名を呼ぶ権威が与えられているのにもかかわらず、それを使おうとしません。大声で叫ぶ必要はありません。静かに御名を呼べばいいのです。人生の嵐が落ち着いてから洗礼を受けるつもりですか。それとも、嵐の中でもイエス様の命令を信じて一歩踏み出しますか。ペテロは安全な船から一歩足を踏み出した時よりも、イエス様に手をつかまれた時の方が、安心したでしょう。私たちも、信仰の旅で疑うときがあるかもしれません。人生の嵐の中で、御言葉から離れて沈みかけるかもしれません。その時には、主よ、助けてください、と口に出せば、イエス様は手を伸ばして助けてくださいます。イエス様に、「なぜ疑うのか、信仰の薄い者よ」と言われるかもしれません。しかし、その時もイエス様は私たちの手を握っていてくださいます。イエス様は嵐の時も私たちと共にいてくださいます。そして、私たちの嵐もいつか終わる時が来ます。