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「 信仰の度合いに応じた奉仕」 

2008 / 06 / 15            

講師  李    宏裕牧師  
聖書箇所  ローマ12:1−9   
記録  酒井美音子  
 

  旧約から新約の時代に至るまで神の民は神の御前で奉仕しています。しかし、奉仕の中に多くの原則があります。旧約の奉仕の中で神の原則に従わないで、神の怒りを受けたことが何度もありました。

 ダビデが契約の箱を新しい車にのせて、自分の町に持ち込もうとしました。運んでいる途中、契約の箱が落ちそうになったので、箱を運んでいたウザが箱が落ちないように手で箱を支えました。その時、神の怒りがウザの上に注がれ、その場でウザは殺されました。ダビデは非常に恐れ、契約の箱を自分の町に運ぶのをやめました。ダビデは暫くの間、契約の箱をオベテ・エドムの家に授けました。神様はこの家を祝福しました。それから、ダビデはもう一度契約の箱を自分の町まで運びました。ダビデは今回は牛車を使わず、担いで持って行きました。6歩進んで時に、彼は主にいけにえを捧げ、神に賛美をしました。彼は無事に契約の箱を運ぶことができました。このように、同じことをしても違った結果が得られました。どうして、前回のウザの場合神様に喜ばれなかったのでしょうか?契約の箱は完全に聖いものなので、アロンとその子ら以外直接触れたり見ることが禁止されておりました。神様には神様の原則があります。ですから、私たちも奉仕をする時に神様の原則に従わなければなりません。神様は畏るべきお方であり、完全に聖いお方です。ですから、私たちは主の前に出る時、主が与えて下さった方法で仕えなければなりません。私たちが主の方法に従って奉仕する時に、主に栄光を帰すことができます。

 では、新約の時代どのように奉仕したらよいでしょうか?ローマ書では私たちは日々直面しなければならないことが記されております。それは聖霊に従うか、肉に従うかということです。聖霊に従えば平安がありますが、肉に従えばすなわち死です。聖霊に従うことはイエス様に栄光を帰すことですが、肉に従うことは自分自身を高く上げることです。パウロは日々二つのことを選択しなければならない時に、自分自身を生きた供え物として捧げなさいと言っております。私たちが主に自分自身を生きた供え物として捧げた時に、聖霊が私たちの命を支配し、全ての事を導いて下さいます。

 私たちは適切な奉仕をするために、まず自分自身を生きた供え物として主に捧げなければなりません。私たちがこのことを実行した時に、私たちの中で新しい変化があります。もはや、自分が自分自身に属さず、すなわち自分の主導権を放棄し、自分自身の計画を主の御手に委ねるのです。また、私たちが主に自分自身を捧げた時に、自分自身が汚れた者であることを知るのです。このようにして、神の御心を段々と知ることができます。

 信仰の量りに応じて、慎み深い考えをしなさいとありますが、多くの場合、自分の夢と信仰をはっきり区別できない場合があります。ローマの手紙では心の一新による変化であると言っております。主に自分自身を捧げる時にさまざまな環境を通して、私たちを訓練し、私たちが主に拠り頼むしかないということを教えます。このような訓練を通して、私たちは揺るがない信仰を得ることができます。その信仰というのは聖霊に従い、肉に従わないということです。このような信仰を持って歩む時に、私たちの奉仕は非常に適切なものとなり、神様に喜ばれる奉仕を行うことができるのです。決して、自分自身がやりたいから奉仕をするのではないのです。

 自分自身を捧げて信仰が変えられた人たちは、自分で奉仕するのではなく、他の人にも奉仕の機会を与えていくのです。教会の中で、自分が何をしたいかを考えるのではなく、私たちが一緒に何ができるのかを考えていくことが大切です。教会の兄弟姉妹が互いに協力し合い、共に成長していきましょう。私たちが主の御心にかなった奉仕をすることができますように。

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