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全ての事が完了したことを知ったキリスト」 

2008 / 03 / 09            

講師  榊原寛牧師  
聖書箇所  ヨハネ19:28−30    
記録  榎戸清美   
 

  3月23日はイースターです。教会はこの2千年来、イエスキリストが十字架に掛けられた受難と復活を記念し続けてきました。イースターを迎えるこの時、私たち一人一人が聖書を通してイエスキリストの生涯をたどって行きたいと思います。今日はイエスキリストが十字架に掛けられた時に語られた言葉のうちの2つについてお話ししたいと思います。

1.28節に「わたしは渇く」とありますが、十字架上での「渇く」と言う叫びは、世の中で最も苦しい、地上での最後の苦しみの叫びの一つです。聖書には「酸いぶどう酒を含んだ海綿をイエスの口元に差し出した」とありますが、臨終に臨んだ人の口の中は渇き切ってしまうのです。この「渇き」は叫び声も上げられない程の苦しみであると言われます。私たちもいずれその時を迎えるでしょう。「活きる」という字は「水」と「舌」から成ります。ですから、舌に水がなくなってしまう時が肉体の最期を迎える時なのです。イエスキリストが十字架上で「渇く」と叫んだのは、私たちの人生の渇きをしっかり受け止める為だと思います。イエスキリストが、私たちの地上での苦しみの頂点をしっかり受け止めて下さるのです。イエスキリストと共なる人生の素晴らしさを感じて下さい。

2.30節に「完了した」とありますが、これは、イエスキリストが地上でなすべきことは全て完了したという意味です。何が完了したのでしょうか。

Tヨハネ10:4にありますが、神様は、イエスキリストを私たちの罪の身代わりにされました。そして、私たちを神の子として永遠の御国へ入ることを約束されたのです。「わたしは、だれも閉じることのできない門を、あなたの前に開いておいた」(ヨハネの黙示録3:8)私たちの行く手は閉ざされたものだったに違いありません。しかし、イエスキリストの「完了した」という技により、神様はだれも閉ざすことのできない御国の門を私たちの為に開いて下さいました。これからの人生において、私たちの為に十字架に掛けられ、「完了した」と言われたイエスキリストと共に生きて下さい。 
 

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