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今日は聖書のみ言葉から神様の律法をどのように守るべきか考えて見たいと思います。聖書には旧約と新約がありますが、私たちクリスチャンは両方の律法を守るべきでしょうか?昔決められた決まりを守ることは困難があります。1865年イギリスで世界で始めて交通法ができましたが、時代時代によって、時代に合った交通規則が更新されてきました。古い律法を今行うべきか?それは私たちに関係があるかどうか?この2つの概念を持って、聖書の中の律法を見たいと思います。
申命記5:2-3を見ると、神様が契約を結ばれたのは「私たちの先祖たちではなく、・・・私たちひとりひとりと、結ばれたのである」と書かれております。この律法は当時のイスラエルの民、モーセ以降のイスラエルの民のために書かれたのです。モーセの律法の中で許されていないことが、創世記の中で行われておりました。ですから、モーセの律法でモーセ以前の人たちを罪に定めないで下さい。
時代が移り変わりましたが、イスラエルの民はこの律法を守って来ましたが、現代に生きる私たちクリスチャンはこの律法を守るべきでしょうか?クリスチャンは現代の神様の民です。旧約は神様とイスラエルの民との約束で、約束の内容はモーセの律法を守りなさいということです。イエス様が来られ、旧約は終わりました。モーセの律法が取り消された訳ではありませんが、古い約束は終わりました。なぜなら、イエス様が律法を全うしたからです。そして、新しい律法を伝えました。新しい律法はモーセの律法よりはるかに基準が高いものです。
旧約時代は神殿を中心に礼拝を行っておりました。ヨハネ4:23「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます」。新約時代の礼拝は神殿中心ではなく、イエス様が中心となりました。神様は時代によって、その時代に合った方法で人と契約を結ばれます。旧約の時代はモーセを通してイスラエルの民と契約を結びましたが、新約時代はイエス様によって多くの律法が全うされました。
では、旧約の律法と新約の律法はどんな関係があるのでしょうか?申命記5:7から、十戒について書かれております。1番目は「わたしのほかに神々があってはならない」ということです。イエス様も、父なる神が唯一であると言っております。このことは新約の時代でも変わっておりません。もし、イエス様を通さなければ、新しい約束の中に入ることができません。2番目は、「偶像を造って、拝んではならない」ということです。このことは唯一の礼拝方法を表しており、霊とまことを持って神様を礼拝しなければなりません。3番目は「主の御名をみだりに唱えてはならない」ということです。旧約時代、主の御名をみだりに唱えることは罪でしたが、新約時代はもっとすばらしい方法を持って、主の御名を用いることができました。新約時代では、主の御名によって求めれば、それは成されるという事です。すべてのものが主の御名に従順になるのです。4番目は「安息日を守って、これを聖なる日とせよ」。旧約時代、安息日にはすべての人が働きを止めて、神様を礼拝しなければなりませんでした。しかし、祭司だけは仕事を許されました。イエス様は祭司として地位を持って安息日を守っておりました。イエス様は安息日に多くの人の病いを癒し、悪霊を追い出しました。ある信仰告白の中に、「安息日に私たちは世俗的な娯楽を楽しんではいけない。私たちの行動もことばも神様を礼拝する態度を持たなければならない。奉仕と善行を行う。安息日を聖別して、礼拝に集中する」とありますが、このことが一般的な教会の教義です。5−6番目の戒めは、人と人の関係について記されております。パウロはローマ13:10「愛は律法を全うする」と簡単な答えを出しております。自分を愛するように他人を愛するのであれば、他の戒めを全て守ったことになります。その基準は旧約の基準をはるかに越えております。主を愛する人は主の戒めを行うのです。一人一人が御言葉を守ることができますように。みことばが私たちの生活の中の基準となることができますように。 |