戻る
「神の栄誉を宣べ伝える民」 

2008 / 01 / 27            

講師  榊原寛牧師  
聖書箇所  イザヤ43:14−21       
記録  石川由紀   
 

イザヤ書の40章から、神様は新しい力を与えるから、新しく力を得なさいと語りかけています。「新しいことをする」(40:19)と、神様は約束されていますが、これは私達へのチャレンジであると言えます。 

今日の聖書箇所の中心は、40:18-19であり、これは神様の祝福であり、約束です。私たちに留まらず、私たちの家族や教会にも祝福をあたえようと約束してくださっているのです。聖書には、神様の祝福の御業は幻(ビジョン)を通して私たちに示されています。私たちのビジョンに対する反応は、否定的なものでしょうか?あるいは消極的なものでしょうか?イエス様は私たちの信仰の大きさによって御心を成されるとおっしゃっています。 

信仰を持たない人たちの間でも、可能性思考(ポジティブ思考)が存在します。ことわざにも「成せばなる、成さねばならぬ、何事も」という言葉があるのに、クリスチャンの私たちが、どうして否定的でいられるでしょうか。 

神様の約束は、実現するためにあるのです。旧約、新約聖書は、神様の約束の言葉です。祝福の約束を信じれば信じただけ、私たち自身に、また家族にも、私たちの仕事や教会の上にも神様の祝福が与えられるのです。 

「わたしのために造ったこの民はわたしの栄誉を述べ伝えよう。」(40:21)と神様はおっしゃっています。神様は、神様の栄誉を述べ伝えるために私たちを創造し、祝福しようとされています。 

エジプトを出たイスラエルの民は、神様が東風を吹かせて分けた紅海を渡り、追ってくるエジプト軍から逃れることが出来ました。このような奇蹟を起こしてくださった神様に対して、まだ私たちは不可能だと言うことが出来るでしょうか? 

約束の地カナンを偵察に行った十二部族の代表は、ヨシュアとカレブ以外はカナン人に勝てないとモーセに報告しました。それに対し、神様は「いつまでわたしを侮るのか」とおっしゃいました。侮るとは、見下す、馬鹿にするとう意味があります。結局イスラエルの民は、10日もあれば入ることの出来たカナンの地に入るまで、40年間も荒野をさまようことになったのです。現在、エリコの町は20メートルも地下に埋もれています。神様ができるとおっしゃることは、できるのです。神様を疑ってはいけません。神様を信じないことは、神様を認めていないことなのです。 

エジプトよりはるかに大きなバビロン帝国に滅ぼされたユダは、新興国ペルシャの初代王クロスによって解放されました。イザヤ書には「油注がれた者クロス」と記されています。イスラエルの民はエルサレムに帰還し、神殿の再建にとりかかりました。これは正に私たちが見たこともない聞いたこともない「新しい事」です。神様のこのような祝福は、私たち自身の上にもとどいています。約束が成就されないと感じるとき、自分自身の中に妨げがありませんか? 

マリヤは、イエス様の受胎を御使いに知らされたとき、「神にとって不可能なことは一つもありません。」と言いました。私達も新しい事と祝福を確信しましょう。神様はひとり子イエス様を私たちにお与えになったほどに、私達を大切にしてくださっています。自分にはできないと言わないでください。約束の実現は、私たちの信仰にかかっています。信じれば信じただけの祝福が、私たちに益し加えられるのです。 
 

戻る