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新しい年が始まりました。多くの人が様々な望みを持っていると思います。また、多くの計画を立てるでしょう。望みは必ずしも叶うものではありません。ですから、きちんと計画を立てるのです。クリスチャンもそうでなければなりません。すべての人が、新しい1年が始まる時、新しい人生が始まることを望みます。新しい人生とはどのように実現するのでしょうか。多くの人が年末になると「今年も昨年と変わらなかった」と、思うかもしれません。しかしそれは、基本的な問題があるからです。基本的な問題というのは、私たちの人生観にあります。計画を成し遂げた時、実は神様の永遠の御計画とは関係ないと気付くかもしれません。私たちが更に必要なものは、新しい人生観です。
今日の聖書個所には2種類の人が書かれています。この人たちは主の為に生きている人です。現代のクリスチャンと1世紀のクリスチャンの違ったところとは、旧約の時代に、神様と神様に選ばれた民との間にあった約束があまり見られないことです。1世紀のクリスチャンとは、旧約の中で神様が定めた多くの決まりを持っていました。個人的にも様々な望みを持っていましたが、それは神様の御こころと1つになっていたのです。そして、イエス様を信じても、律法の教えを守ろうとしていました。また、もう1種類の人たちは、イエス様がすべての律法を全うして下さったことを知っていたので、御ことばをしっかり守っていれば、主の御こころに適っているということを知っていたのです。教会の中ではこれらのことを背景に衝突がありました。パウロは「互いに批判し合うのはやめなさい」と、言いました。全ての人が、主の為にやっていたりやらなかったりしたからです。12節の御ことばをまとめると、クリスチャンというのは、元々自分の為に生きていた者が、主の為に生きる者と変えられた人のことです。新しい人生観とは、主の為に生きることです。
私たちはイエス様を信じた後、自分に属するのではなく、キリストに属するのです。キリストに属するとはどういうことでしょうか。ローマ帝国では、多くの人が奴隷となっていました。主人は奴隷に必要なものをすべて与え、奴隷は主人から赦されたことだけをします。命さえも主人の手の中にありました。奴隷は主人に属しています。パウロはこの方法を用いて、キリストに属するとはどの様なことかを話しています。私たちは既に主に属しています。では、私たちはどの様に生き、どの様に死ぬのでしょうか。私たちは主を信じる前は、全て自分のやりたいことだけを計画し、行っていました。その目的はどこにあるのでしょうか。それは、自分自身に栄光を帰すというところにあります。自分を高く掲げようと毎日忙しくしているのです。そして、皆がそこに目的を置いているので、競争が始まり、他人を踏みにじって高い所に立とうとします。これは主を信じていない人の基本的な原則です。私たちはこの様であってはいけません。主の為に生きるのです。主を高く掲げるという目的を持たなければならないのです。この人生観があれば、どの様に御こころに適った生活が出来るかを考えるようになります。私たちは神のひとり子イエスキリストの血潮によって贖われたのです。今日の聖書個所に記されていますが、どうして主の為に生き、主の為に死ぬのでしょうか。それは、最後には裁きがあるからです。神様は私たちに一つ一つのことを訊ねます。主の御前に立つ時、私たちは「主の為に行った」と説明することが出来るでしょうか。人生の中で様々な決断をする時、私たちは御ことばに従って物事を決定するのです。それが主に栄光を帰するということです。 |