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欲望の谷」 

2007 / 11 / 25            

講師  姜寶陞牧師  
聖書箇所  Tヨハネ2:14−17        
記録  磯川智子  
 
 今日の聖書箇所は、一つの戒めです。アダムとエバが堕落してから、私たち人間は罪に汚されていて、その罪に打ち勝つことができません。けれどもし私たちが悔い改めることができるならば、イエス様の血潮によって私たちは清められます。人の欲には限りがありません。善を行いたい欲望、向上心といった良い欲もあります。しかし私たちの心の中にはあくまでも罪があり、その罪によって私たちは滅びへの道を歩んでしまうのです。ですから私たちに必要なのは、日々神様に近づくことです。しかし私たちは心の中に私利私欲といったものを孕んでいきます。それが生まれる前には、取り消すことができます。また、欲が生じてしまったとしても、神様の力によって断ち切ることができるのです。欲望の谷間は埋め難い、という言葉があります。私たちが欲望によって進んで行くのは、神様の赦しや恵みの無い滅びの道です。ですから聖書では、世をも、世にあるものをも、愛してはなりません(15節)と教えているのです。世とは、何を指しているでしょうか。世には素晴らしいものがたくさんあります。肉親の情、友情、花や鳥、芸術、季節を彩る景色。これらを私たちは楽しんではいけないのでしょうか。そうではないのです。ここでいう世というのは、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢なのです。(16節) 肉の欲、目の欲を中国語の聖書では、私欲と表しています。それは広範囲にわたる人間の欲です。堕落してしまった人間はこのような私欲で満たされ、罪によって汚染されています。権力欲、貪欲、野心、虚栄心、妬み。これらは普通の人間が持ってはならない欲望なのです。しかし、誰にでもこのような欲望はあります。私たちはイエス様の十字架の前にひれ伏し、これらの欲を十字架につけなければなりません。エデンの園から私たちは何を学ぶことができるでしょうか。それは、人はわざと神の主権と御旨に背いたということです。堕落した人類が築いたものは何でしょうか。神様はいない、神様の支配から離れたい、自分で自分自身を管理したい。これが堕落してしまった人類が築いた文化なのです。人類は神様から遠く離れ、心は私欲にコントロールされ、この世のものに惑わされるようになってしまっているのです。これがまさに、世なのです。

なぜ聖書は私たちに、世を愛してはならないと教えているのでしょうか。なぜなら、世を愛しているなら、その人のうちに御父を愛する愛はありません(15節)。この世と御父が並存することはできません。世をたくさん愛してしまったら、神様を愛することができなくなります。私たちの心の中にある私利私欲は、神様と相反しているからです。クリスチャンにとって最高の人生観とは、人はただ神様の栄光を表すために生きるということです。これは最も崇高なる基準であり、私たちが追い求める最終目標です。また、世と世の欲は滅び去ります。しかし、神のみこころを行う者は、いつまでもながらえます(17節)。すべてのものは滅び去ります。私たちはこの世の一時的なものに惑わされることなく、永遠のものにしか価値がないということを学ばなければなりません。永遠はどこにあるのでしょうか。神様だけが、とこしえまで永らえるのです。ですから、私たちクリスチャンは、神様にしっかりとついていなければなりません。そうすることで私たちは不可能を可能に変えることができます。また自分自身の私利私欲に打ち勝つこともできるのです。神様によって私たちは日々新しくされていきます。

 私たちはどうすれば欲望の落とし穴に落ちないでいられるでしょうか。14節によれば、神様のみことばにとどまることです。この言葉から、日々デボーションの時間を持つことがどれだけ大切かわかります。私たちはすぐに罪を犯します。しかし私たちが神様のみことばの前にとどまるならば、そこで目が覚めます。聖霊がみことばを証しし、私たちの心に働きかけ、励ましてくれるからです。そうすることによって、私たちは罪を犯し続けることがありません。誰にでも弱さがあります。肉の欲があり、心の中に汚い感情があります。しかし、神様の前で悔い改め、罪から離れたいと願い、一人一人が清さを保ち続けていきたいものです。神様は、私たちの悔い改めを軽んじることはありません。私たちに必要なのは、悔い改めることです。ダビデは大きな罪を犯しましたが、神様が彼をみこころに適うものとされたのは、彼が悔い改め、罪から離れることができたからです。今から神様の前で志を立てましょう。どうか主の血潮によって私たちが清められますように。清い道を歩み続けることができますように。主に喜ばれますように。どのような罪でも、イエス様によって清められます。問題は、あなたがイエス様の前に行きたいか、行きたくないかです。あなたは悔い改めたいですか。どうか神様に導かれますように。今からイエス様によって清められますように。悔い改めて、新しくされていきますように。

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